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Home 音楽の広場 スウェーデンの音楽と音楽療法 北欧とスウェーデン、そして音楽

北欧とスウェーデン、そして音楽

ジョイカや吟遊詩人、そしてオペラやロック!


スカンジナビア半島の北部には、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドの3国にまたがって、サーメ人という、主にトナカイの遊牧や狩猟などを生計としてきた少数民族が住んでいる。

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このサーメ人、以前にはラップ人と呼ばれたこの遊牧民は、ジョイカと呼ばれる独特の節回しを持つ歌を唄う。サーメ人が暮らすラップランドは文字通りの大原野で、時には一人でトナカイの大群を集める作業をすることも多い。
そんな時にサーメ人はそのジョイカを唄うのだが、その節回しはそれぞれ独自のもので、誰一人として同じ節回しをするものがいない。つまり、合唱はできない性質の歌でもある。
トナカイを集めるために唄うジョイカも、広大な大原野の中にたった一人でいる時には、大自然の中に自分の存在を示す歌声でもあり、また時には、自然に対峙する孤独さを癒してくれるものに違いない。

フィンランドは、まさしく「タンゴの国」と呼ばれるのが相応しいほどタンゴが盛んであるばかりか、タンゴの持つ哀愁と熱情は、フィンランド人をして自分のアイデンティティーを感じさせるほど、心の中に入り込んでいるのである。
いわゆる歌謡曲というジャンルは、呼び方こそいろいろ違っても、おそらく世界中の国々にそれぞれあるものだが、例えば日本の演歌にあたるものがフィンランドではタンゴであるといっても過言ではないとさえ思う。
フィンランドにはまた、昔、いわゆるジプシーと呼ばれるローマンという人たちがスウェーデンを追われて住みつき、今では彼ら自身の言葉を話せる人がほとんどいないほどフィンランド語に同化されているが、それでも服装や慣習は頑固として変えないという形で暮らしている。
彼らは、例えばスペインやハンガリーなどでも聞かれるように独特の音楽文化を持っているが、フィンランドではもっと音楽文化に影響を与えているようでもある。
フィンランドの歌謡曲は、きっと中央アジア的で元々哀愁を帯びた調子が多いのかもしれないが、ともあれタンゴやジプシー音楽の影響を受けて、ある意味では日本的な哀愁を感じさせる短調のものが多い。

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それに比べてスウェーデン人は、他のデンマークやノルウェーと同じように、人種や言語というものや文化的には北方ゲルマン系である。
北海に浮かぶアイスランドは、初期のバイキング時代にノルウェーのバイキングの植民地として開拓された。これら北方ゲルマンの人々は、キリスト教が浸透するまでは北欧神話の世界に生きていた。オーデンやトール、フレイなどの神々が登場するこの神話の世界では、自然界のあちこちに妖精が住み、様々な祭りをも生み出す。
クリスマスの祭典はもちろんイエスの誕生を祝うものだが、現在の祝い事には、ちょうどクリスマスの頃にバイキングがその年の収穫を祝ったジュール祭りの影響も強い。

現在でも行われるスウェーデンの夏至祭りはバイキング時代からの名残を残しているが、祭りには歌や踊りがつきものである。そして、この夏至祭りや4月30日に祝う春祭りに唄われる歌は、フィンランドの哀愁のある調子とは違って、そのほとんどは軽やかで爽快な感じの長調のものである。そういえば、ドイツの子守唄なども長調のものが多いが、これもゲルマン民族の性格を反映しているのだろうか・・・。

北欧には、もちろん暗く長い冬の期間もあるし自然との厳しい生活もあり、もちろん哀愁のある短調の曲も聞かれるが、どちらかというとそれらの明るい感じの歌が多い。
特に夏の期間は、全国でそれぞれの地方の民族衣装で着飾ったグループが、アコーディオンやバイオリン、ギターやキーハープと呼ばれる民族楽器で演奏をし、これまた民族衣装をまとって唄い踊るのである。

スウェーデン人は、また詩をよく好む。何かのパーティーや大勢での食事の席では、誰となく詩を披露することが多いが、昔はきっと吟遊詩人という人たちも大勢いたに違いない。

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詩人といえば、18世紀にはカール・ミカエル・ベルマンという、今ではスウェーデン民衆音楽の聖人とまでなった詩人・作曲家がいた。彼は、若い頃銀行に勤務していたが、借金をしては飲んだくれの生活を繰り返し、国を逃れてノルウェーで暮らすなど放浪の後に、詩や作曲の才能を買われて王室に雇われるほどにもなった。
ヨーロッパには、古くからそういう自分の伴奏で弾き語りをする「トルバドール」という芸能人がいるが、スウェーデンでも、特にベルマンの後は続々とトルバドールが現れ、ベルマンの曲は今日までも歌い続けられている。トルバドールは、酒場やパーティーの席でギターを抱えて歌うことが多いが、その他にもいろいろな集会や、時にはコンサートなどでも演奏することがある。

近代にはまた、エバ・トーブという天才が現れた。
1910年に船乗りとしてアルゼンチンに渡った彼は、その後スウェーデンに戻ってから自作の曲を数多く発表したが、そのほとんどはアルゼンチンや南米風のもので、それはまたその後のスウェーデンの音楽や民衆芸能にも大きな影響を与えるようになった。 
ベルマンがトルバドールの聖人とすれば、エバ・トーブは王様である。何かの集まりに大勢で歌うときなどは、必ずといっていいほど彼らの曲のいくつかは聞かれるものだ。
昔のトルバドールは、ギターよりも古いリュートや、スウェーデン独特のオートハープやキーハープと呼ばれる弦楽器を使っていた。
現代ではそれがギターになるのだが、トルバドールの伝統は広く伝わっているためもあって、ギターを弾ける人の数はこれまた多い。

さて、クラシックの世界はどうかというと、ストックホルムには王立のオペラ劇場がある他、大きな都市にはオペラ劇場があり、ヨーロッパではオペラの盛んな国の一つに挙げられる。
文化的にフランスの影響が強かった18世紀に、国王のグスタフ3世は、当時オペラ界に君臨していたドイツやイタリア風のオペラというものをスウェーデン風にするため、スウェーデンの作曲家の作品を多く取り上げ、1782年には最初の王立オペラ劇場が建てられた。
そこでは多くのオペラやバレーの公演が行われたが、オペラ劇場が華々しくオープンしてからちょうど10年後の1792年に、オペラ劇場での舞踏会でグスタフ3世が暗殺される事件があった。
グスタフ王朝の様式を持ったオペラ劇場は、その後約100年にわたり、スウェーデンの音楽界やバレー界の神殿として残ったが、1898年に当時の国王オスカー2世はオペラ劇場そのものもオスカー王朝風にするため、現在も使われているオペラ劇場が新しく建築された。
その後スウェーデンのオペラ界は、ビルギッタ・ニールソンやジョッスィ・ビョーリングはじめ、世界的にも著名なオペラ歌手を生み出している。

ところで、この王立オペラ劇場を創設した国王グスタフ3世は、その後のスウェーデンの文化の発展に多大な貢献をした国王である。王立アカデミーをはじめ、王立芸術大学、王立音楽大学、王立理工大学も創設したほか、王立図書館や数々の文化的な資産を残している。
王立音楽大学は、世界で最も古い音楽大学の一つであり、またスウェーデンでは最大で最も権威高い音楽大学だが、オペラ劇場の存在も、クラシック音楽界の要としてその意味は非常に大きいものがある。

10年ほど前の統計で恐縮だが、スウェーデンでは当時の人口約880万のうち、実に4%にあたる35万人もがロック音楽をやっている。ロック音楽は今や世界中に広がっているとはいえ、この数字はユニークで、スウェーデンがロック王国と呼ばれるのに相応しいことを示している。
随分昔になるが、日本にポップ音楽というジャンルがテレビを通して盛んになった頃、「スプートニック」という、エレキギターの演奏グループがあった。今でも日本公演を行っている有名な「ベンチャーズ」と同時期の世代である。
「スプートニック」は、当時スウェーデンで電気屋さんに勤めていた若者が作ったバンドだが、日本で成功したことでその後本格的なプロになったという。

その後スウェーデンからは、70年代の「ABBA」をはじめ、「ヨーロップ」や「ロクセット」、「カーディガンズ」や「ヘリコプターズ」などのロックバンドが世界に飛び出し、日本では「スウェーデンポップ」という特別のジャンルにさえなっているほどである。
それほどロックやポップのグループが多い国でありながら、人口の少ないスウェーデンでは多くのミュージシャンは音楽で生計を立てるということは容易なことではなく、ほとんどは他に仕事を持ちながらのセミ・プロに甘んじなければいけない。

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そんな中でも、ダンス場で演奏するダンス音楽グループだけは別である。スウェーデンには、おそらく100を越えるダンス音楽グループがあり、年の半分以上の日数は全国のダンス場を回っているが、ダンス音楽のバンドマンはそれだけで生活ができるほど、ダンスの場が多い。
大きな都市にはいくつものダンス場があるが、どこの地方都市でも中心となるホテルでは週末にダンスが行われるし、もっと小さな集落でも、森の中や湖に面したダンスや集会の場を持っているところが多い。そこで演奏されるものは、スウェーデン風の歌謡曲や地方の民謡などが勿論多いが、中にはジャズのスタンダードを演奏するグループも多いし、その幅は非常に広い。

このように、スウェーデン人の生活の中で音楽というものは、バイキング時代の名残を残す民俗音楽や吟遊詩人の歌、クラシックからジャズやロックまでも含めて幅広く、またそれは祭りや人との出会いの場あるいは余暇など、暮らしのいろいろな場面で様々な形で存在し、さらに近年になっては外国からの移民が多いこともあって、そのあり方も益々多様になってきている。

それほど音楽的にも多様で深い歴史を持つスウェーデンでも、例えば50年~60年前まで、つまり世界大戦が終わってすぐ後の頃までの学校教育では、音楽の時間といえば賛美歌の唱歌をすることに限られていて、しかも全学年を通じて同じ教師が音楽を担当していたという事実もあったのである。

その音楽教育の内容が変わったのは50年代にあった教育改革以降で、その後1977年には王立音楽大学において初めてジャズ・アフロアメリカン音楽が教科として採用されるなど新しいものをどんどん採り入れるようになり、スウェーデンのジャズ・ポップ音楽というものも、著しい発展を見るのである。
戦後、幼稚園や小学校などでダルクローズ教育法=リトミックが広範囲に取り入れられ、今では何処の幼稚園でも、リトミックという名前さえ付けられずに自然な形で行われているが、それはまた、その後の音楽教育や音楽療法のあり方にも大きな影響を与えたということで、非常に大きな意味があった。



 

 

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