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福祉と理念

福祉ということばは、あまり使われない!?


「スウェーデンの福祉理念」ということがよく言われる。
そもそも、福祉とは何だろうか?そして、福祉の理念とは?

まず最初に、スウェーデンでは、一般的に「福祉」という言葉は日常的に使わない。福祉という言葉が使われるのは、もっと大きな意味での「福祉国家」、あるいは「福祉のレベルの向上」などと使われるのが普通である。
そこで、もし一般の市民に「福祉とは何ですか?」と聞くと、おそらくいろいろな答えが返ってくるには違いないが、多くは「それは、快適な暮らしのこと」と答えるだろう。

市民の暮らしを守ることは「福祉」とは言わずに「社会ケア」と言い、また障害者福祉は「障害者ケア」であり、同様に「児童ケア」や「高齢者ケア」である。では医療はどうかというと、これも「医療ケア」という。

日本では、「医療と福祉」、また「福祉サービス」というように、行政的にも医療と福祉は管轄が分かれているし、また教育や経済・文化とも切り離して考えられている。
つまり、医療とは(cure=治療する)することであり、福祉とは(care=世話・手当、介護・看護)というように、それが車の両輪であってお互い必要なものであり、その連携の必要性が長く言われていても、実際には中々難しい。

一方スウェーデンでは、福祉というものが「快適な暮らし」であり、またそれを可能にする条件や手段であるとすれば、医療もケアも、あるいは教育や経済や文化も、「社会福祉」という大きな枠の中で連携をしている。
つまり、医療や産業も教育も、道路を造ることさえも国民の福祉に貢献しているという意識は共有し、そのため日本のように医療や福祉の構造が「縦割り」になるのではなく、「医療」、「教育」、「社会(ケア)」というものは横並びになっている。

ここで、理念ということを考えてみよう。
理念(idea=考え方、思想, principle=主義、原則), あるいは社会思想(ideodogy=根本的な物の考え方)というものは、元来それらを説くもの、解釈する者によって違うし、時代によっても変わるものである。

同じスウェーデンの政党でも、穏健党(現連立政権のひとつ、保守派)と社会民主党(30年代より政権を担当してきた最大政党)とでは、例えば何が平等で何が公平かという定義さえも違うし、どのような社会を目指すかというような理念も違う。また理念や主義というものは、個人や団体によってもそれぞれ違う。
つまり、普遍的な「スウェーデンの福祉理念」というものは、それが定義づけられているものではない。

しかし、スウェーデンの社会における福祉の変革の背景には、常に社会での理念の変革があった。
以前のスウェーデンでは、高齢者はあまり表に出ず隠匿生活をするのが普通であったし、障害を持つ人は収容施設に閉塞され、社会とは隔離された生活を強いられていた。優生保護法もあり、不妊手術も当然のように行われた。

そこに変化を及ぼした大きな要因は、やはり当事者の主張である。
機能障害者の声、高齢者の声、家庭で子育てに励みながら、仕事に附き社会を支えてきた女性の声である。
そして、「みんなが同じ生活条件を持つべきである」という、平等精神。
そこで、
ノーマライゼーションの理念が受け入れられ、またハビリテーションの理念と姿勢が「ケアを受ける」立場の障害者への視点を変えていった。

ハビリテーションは、障害を持つ人の「持てる力」への発揮と、障害というものを理解する視点を開かせ、またノーマライゼーションによって、障害を持つ人が社会で共生するための環境作りが進展し、それらがまた社会そのものをも変革に向けていく力ともなってきた。

もちろん、それらの理念が受け入れられるような社会観念や環境がなければ、誰かが言い出しただけでは理念の浸透ということにはならない。スウェーデンでは、上から下に縦割りの構造で考え方は浸透してはいかないのである。新しい考え方は、往々にして現場での実践を通して生まれるものであり、福祉の理念も決して上から言い出しても浸透はしていかない。

つまり、スウェーデンの福祉理念というものは、今現在の「社会理念」というべきものであり、それは「現場」の声が反映されて出来上がるもので、また社会の変革の原動力となるものであると言えるのではないだろうか。

社会という「現場」の声が上に伝わり、それらが政策として社会で実現化される構図は、いったいどうしたら生まれるのだろうか?
それが民主主義というなら、どこの世界でもそうなりそうなものだが、どうもそうではないところが多いようである。



 

 

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