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福祉の構図


本人と周りの関係


個人と周りの関係はいろいろ複雑ですが、福祉という環境でひとりの人を取りまく周りとの関係をみると、日本とスウェーデンでは大きな違いがあることが分かります。

右にある図は、サービスを受ける人、この場合例えば機能障害を持つ人、あるいは高齢者でも同じような状況ですが、一人の人を取り巻き行政や家族、リハビリなどで関わる理学療法士や作業療法士などの専門職の人、機能障害を持つ人が児童や青少年だと学校ということもありますし、地域での関わりや、もしかしたらその人の活動を支えるボランティアであるかも知れませんが、それらの人たちがその本人を取り巻く形でいるわけです。

この図では少々見え難いかも知れませんが、本人を取り巻くそれぞれから矢印が本人の方に向かっています。

行政は行政の立場でその人のことを考え対応する。親は親という立場でこどものことを考え、施設は施設として本人へのサービスを提供するという具合です。

次に、スウェーデンの場合を考えてみたいと思います。

スウェーデンでは本人という言葉はなく個人という言葉にはなりますが、それはともかく、その人を取り巻くいろいろな関係を図にしてみると、場所的には日本の場合と変わりはありません。

違うのは、矢印の方向です。

矢印は本人から外に向かっています。
つまり、自分というものが中心となり自分から発信するという形です。

具体的に言うと、親の立場でとか行政の立場など、それぞれの「立場」でものを考えその人に対応するのではなく、その人から発信されたものに対して、親なら、行政なら、どう対応するかということです。

この場合、外側の「それぞれの役」同士が「同じ言語」で話し合うことができなければ、行政と家族とか、家族と施設の考え方や対応がぶつかり合うかも知れません。

そのため、それぞれの役割の間には「理念」という「言語」があります。「本人がそういうニーズを持つから、
行政としてこう対応する、あるいは家族としてこう対応する。」という対応の中で、例えば「ノーマライゼーションの
理念から」、あるいは「自己決定の観点から」というように、社会にある福祉理念に照らし合わせての対応ということです。

スウェーデンでは、どんなに重度な障害を持っていても、グループホームやデイサービスなどのサービスは、本人が申請しないと与えられません。つまり、誰も「その人にあてがう」という形はとりません。

そうすると、例えば自分の署名が出来ない、あるいは認知することが難しいような重度の知的障害を持つ人はどうするのかという疑問が出てくるかもしれませんが、そのような場合には、裁判所で「その人を代弁する」と認定された「Godman=ゴードマン」が、その人に代わって申請をしたり、物事を決定するというゴードマン制度があります。
つまり、「自己決定」の重要さは、このような形で法的にも擁護されているわけです。


 

 

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