スウェーデンの音楽療法(その3)その後の音楽療法の方向

⚫︎教育的音楽療法の流れ

音楽療法という概念がスウェーデンに入ると、まず、障害児との音楽活動を実践していた「特別教育」の教師たちが関心を持ち、それぞれの実践活動の中で音楽を取り入れるようになっていきました。

また、数は少ないながらも、医療の中で精神病院や精神障害者のリハビリ施設などで音楽活動に携わっていた人や、一部の精神科医や心理療法士も、音楽を精神・心理療法で取り上げる試みも行われました。

「特別教育」的な方向は「教育的音楽療法」と呼ばれ、一方で医療の分野での実践は「臨床的音楽療法」と呼ばれていました。


その流れの中で、1968年には「北欧教育的音楽療法連盟」が結成されました。

やがてその連盟は、各国それぞれの組織を結成するということで発展的解消となり、1972年にはノルウェーで「ノルウェー音楽療法協会」が結成されると、翌年の1973年には「スウェーデン音楽療法協会」が結成されました。

そして、協会が設立されたことにより、各種の研究会や講演なども組織立てて行われるようになり、また広報活動を通じて、音楽療法という概念が外に向けてより広がっていきました。

1970年代は「その2」でも述べたように「パイオニアの時代」とも言われていますが、ブリットマリー・アドルフソン、ヤンネ・ブロムクビストやラッセ・イェルムの他にも、モナ・ハリン(音楽研究家、イェーテボリ市)、ビルギッタ・ヘッグブロム(音楽教師、DAMP障害)、スティーナ・ヤルボ(音楽教師、知的障害者)、アン・クリスティーン・サンデル(音楽教師、特別支援学校)、ベリット・シャブ(音楽・ドラマ教師、イェーテボリ市)、イングリッド・タレン(特別支援学校監査士、特別支援学校委員会)などがおり、それらパイオニアのほとんどは、障害児と関わる音楽教師や特別支援教育の教師でした。

医療の分野では、精神病院での音楽活動に携わっていたウルバン・イーマンが精神病や精神障害の分野でのパイオニアともいえますが、当時の精神医療の現場ではさほど活発な活動は見られませんでした。

⚫︎音楽療法士の養成

そして、音楽療法協会が設立され、それらパイオニアの活動が報告されるようになると、音楽療法の教育と音楽療法士の養成が強く望まれるようになり、1982年に音楽家で作曲家でもあるクート・リンドグレンのイニシアティブによって、ストックホルム市にある王立音楽大学に音楽療法のコースが設置されました。
当初は、王立音大の教育学部リトミック科に属した特別コースでした。
その後、ショービーク国民高等学校(短期大学に相当)やインゲスンド音楽大学に音楽療法の科目が設けられています。

スウェーデンには、18世紀にグスタフ3世が創設した「アカデミー」という学術団体の権威があります。
ちなみに、ノーベル賞の受賞者を決めるのもそのアカデミーです。
その中の一つに「王立音楽アカデミー」があり、「音楽の様々な部門で、その発展のためのイニシアティブを取る」という役目があります。

1993年にはその音楽アカデミーが、スウェーデンの音楽療法に関しての会議を設け、音楽療法を科目として持つ各種の学校が集まって、スウェーデンにおける音楽療法の現状が議論されました。

また翌年の94年には、ストックホルム市で「北欧音楽療法会議」が開かれ、北欧諸国から専門家が集まりました。
そのような中で、スウェーデンにおける音楽療法の教育のレベルや考え方に大きな違いがあり、三つの方向として現れていることも明確にされました。

そして、この三つの方向は音楽療法の定義も微妙ではありながらそれぞれ違い、それはまたスウェーデンの音楽療法の三つの方向として、その後現在にも引き継がれています。

⚫︎音楽療法の三つの方向

スウェーデンには、日本のように、音楽療法についてそれぞれの趣旨や方法論に賛同する人や、地域によって、それらを研究したいと思う人が集まるという、いわゆる音楽療法研究会のような集まりは、ほとんどないと言っても過言ではありません。
その代わり、音楽療法を教育する大学などの機関がそれぞれの特色や考え方の方向性を持っていて、そこで学んだ人に強い影響を与えています。

ストックホルム王立音楽大学、精神力動学的音楽療法

ストックホルム王立音大では、精神分析論や行動心理学、発達心理学、また音楽心理学などの専門分野、脳医学など基本的な専門知識の他に、ノードフ・ロビンスやオルフなどの音楽療法の方法論や実践、機能障害に関することなどが科目とされ、

また作曲や演奏、身体動作など実際の音楽演習や現場での実習など幅広い分野にわたって、生徒それぞれが独自の音楽療法を体得できる方向での学習が行われています。

1980年代の半ばには、GIM音楽療法(音楽によるイメージ誘導法)の創始者ヘレン・ボギーも王立音大を訪れるようになり、GIMの基礎講座が開かれるようになりました。


ストックホルム王立音楽大学

王立音楽大学での音楽療法教育は、次第に精神力動学的な方向性を持つようになりました。

それは、人間を全体的に捉え、その中で個人の音楽性や人との関わりに働きかけ、より快適で健康的な方向を見出して行くというもので、音楽療法士と対象者の調和が重要視されるというものです。

ショービーク国民高等学校、特別教育的音楽療法

1985年に、スウェーデン中部のショービーク国民高等学校(短大に相当)では、音楽療法と特別教育が科目として設けられ、特別教育的音楽療法の方向性で教育が始まりました。

ここではすでに1978年に音楽学科の中に音楽療法のコースがありましたが、教育内容はまだ音楽療法士を養成するレベルではなく、84年までは単なる講座という性格でした。

しかし85年には科目としての教育体制が整い、主に特別支援学校や児童・高齢者を対象とする音楽療法士を養成するようになっていきました。


ショービーク国民高等学校

ショービーク国民高等学校は、その教育に北欧の特別教育の伝統を強く引き継いでおり、機能障害者や高齢者とのセッションの実践にも力を入れています。

音楽療法士養成のための教育は「特別音楽リーダー教育」と呼ばれ、教育的にまた療法的に音楽を使うという立場を取っています。

インゲスンド音楽大学、FMT音楽療法

70年代のパイオニアの一人ラッセ・イェルムは王立音楽大学の講師でもありましたが、当初は彼の障害児との音楽活動の経験から、特別教育的音楽療法という範疇での授業を担当していました。

しかし、彼はその後、脳の機能に働きかけるという「FMT音楽療法=脳機能的音楽療法」という独自の理論と方法論を展開し、また特別教育的音楽療法というものを音楽療法とは認められないという立場を主張したために、王立音楽大学の方向性とは合わなくなり、やがて王立音楽大学から離れてウプサラ市に音楽療法教育機関を作り、「FMT音楽療法」として独自の教育を行いました。

インゲスンド音楽大学とウプサラ音楽療法協会では、FMT音楽療法以外の療法は学ばないという方向性を持っています。

そのため、この教育機関で学ぶと「FMT音楽療法士」となり、他の音楽療法とは明確に区別をつけています。


インゲスンド音楽大学

このようにそれぞれの方向性が違うと、音楽療法というものの捉え方や方法に違いが出てくるのは当然ですが、それぞれの教育機関では公式の定義は表してはいません。

いろいろな文書でそれぞれの考え方はわかるにしても、その表現もその都度違うニュアンスを持っています。

⚫︎それぞれの、音楽療法の定義

次に挙げるのは、これらの三つの流れの違いを研究した研究所のインタビューに、それぞれの教育の責任者が答えたものです。
(音楽教育センターの、アニタ・グランバリェの研究発表から)

ストックホルム音楽大学の定義

音楽療法は、教育を受けた音楽療法士が、個人あるいは集団に対し異なる方法を用いて、身体的、情緒的、精神的、社会的、認知的なニーズを満たすために、音楽や、あるいは音楽的な活動を調和させて使うものであると定義づけられる。

音楽療法士は、精神力動的な考えに立ち、音楽療法士としての能力と責任の中で、音楽心理療法、特別教育、医療の分野で活動を行う。
(イングリッド・ハンマルルンド 音楽教師・音楽療法士、王立音楽大学音楽療法科)

ショービーク国民高等学校の定義

音楽療法は、教育を受けた音楽療法士が、個人あるいは集団に対し異なる方法を用いて、身体的、情緒的、精神的、社会的、認知的なニーズを満たすために、音楽やあるいは音楽的な活動を調和させて用いるものであると定義づけられる。

音楽療法士は、発達心理的な考えに立ち、音楽療法士としての能力と責任の中で、特別教育的な視点で、文化や余暇の分野で活動を行う。
(アンリ・リスバリエ 音楽教師・音楽療法士、ショービーク国民高等学校音楽療法コース)

FMT音楽療法教育の定義

音楽療法は、教育を受けた音楽療法士が、個人に対して一つの方法で、個人の機能のレベルを向上させ、それによってより良い発達と健康を計るために、音楽や音楽的な活動を調和させて用いるものであると定義づけられる。

音楽療法士は、発達理論に立ち、音楽療法士の能力と責任の中で、機能の低下に対して活動を行う。
(ラッセ・イェルム 音楽教師・音楽療法士、FMT音楽療法の創始者)

このように、それぞれ若干の違いはありますが、王立音大とショービークでは、共通点も多くあります。

それに比べてFMTの場合は、まず個人対象の療法で、集団では行いません。
また音楽を使う場合に、王立音大とショービークでは即興的な音楽が重視されていますが、FMTでは決められたメロディーを「コード」として使います。

そのコードがどういうものであるかということは、教育の中で学習されるということで、外部からは中々知ることができません。

実証例を見ても、ただ「このコードを使った」という表現しかされないので、外部の人には中々その実体がわからない、ということがあります。

基本的な考えとしては、対象になる人が、提示されたメロディーによるコードによってドラムを叩くことで、脳の神経を刺激し、新しい神経細胞や神経系統を作り出すというものですが、医学的にそれが証明されているかどうかは不明です。

このように、それぞれ違う音楽療法の捉え方や方法論が共存していると、それを同じような方向にまとめていくというのも難しいということがあります。

実際、例えばFMTでは、公式にはスウェーデンの音楽療法にはこの三つの方向があると言いながらも、「特別教育的音楽療法」を音楽療法とは認めない傾向がありますし、また王立音楽大学系の音楽療法士の中には、FMTの科学的立証を疑う人や、他の音楽療法を認めないことに対する不満や、また障害者に対してのハビリテーションという立場から、FMTは本質的にリハビリテーション志向であると批判する向きもあるようです。

スウェーデンで、まだ音楽療法が国家資格にならないということの要因には、こうした事情もあるということも考えられるでしょう。

出る杭は「抜かれる」、出過ぎた杭は?

スウェーデンというと、やっぱり「平等の国」というイメージがありますよね?

確かに、昔からいろんなところで平等っていうのは謳われているし、女性の人権とか、子どもの権利とか…ウーマンリブだってスウェーデン発祥だし、1970年に出来た「子ども体罰禁止法」も、やっぱり世界最初だったし…そういうのも、「平等精神」から生まれたものに違いないでしょう。

ところで、日本じゃ、よく「出る杭は打たれる!」って言いますけど、こっちでは、「出る杭は打たれる」とは言わずに、「ヤンテラーゲン」(Jantelagen)、「ヤンテ法」って言葉をよく使います。

「それって、ヤンテラーゲンだよね」とか、
「やっぱり、ヤンテラーゲンだから…」とか…

これは別に法律というわけではないんですけど…

デンマーク育ちのノルウェー人、アクセル・サンデモーセ(Aksel Sandemose)という人が1933年に出版した本に出てくるもので、いわゆるスウェーデン人の「精神構造」というか…典型的なスウェーデン人というものの「あり方」というのを表現したでものです。

訳せば、

「あんたは、自分が…

何か特別な人だとは思うな
私たちのように善良な人だと思うな
私たちより賢いと思うな
私たちより優れてるなんて考えるな
私たちよりものを知ってると思うな
私たちより上だなんて思うな
何か出来るなんて思うな
私たちのことを笑うな
誰かに関心を持たれてるなんて思うな
私たちに何か教えられるなんて思うな」

という10か条が書かれてるんですが、以来、これが典型的なスウェーデン人ということで、誰もが大声では言わないけど、それはそれで納得してきたもんです。

要は、「自分は、何か特別な人」だとか、「人より優れてる」なんて考えるな!ってことです。
つまり、「私たちと、同じようにしていろ!」ってことですよね。

それほど平等精神が強いと、「出る杭は打たれる」じゃ足らずに、「出る杭は、抜かれる!」みたいになっちゃうんですよ…。

昔、僕がストックホルムに来てすぐの頃、日曜日に街の中心地を歩いていて…「どっかお茶でも飲もうかな〜」なんて考えて探したけど、町中のコーヒー店ばかりじゃなく店という店が全部閉まっていて…「何て寂しい街なんだろう?」って思ったことがあります。

これが日本なら…

「休日っていうのは、街中が賑わうんじゃないのかな…?」って思いますよね?それが、こっちじゃ街中がひっそりとしていたのでびっくりしました。

これなんか、商店の組合なんかが、「人が休みの時は、お前も休め!」という感じで、日曜日はどこも休み…

そんな中で、「いや、もっと儲けたいから!」って自分だけ店を開く…なんてことすると、それこそ、「抜かれて」しまいます。

これも、平等精神の表れなんですけど…うがった見方すると、「やっかみ精神」とも言えるかも…なんて思っていました。

もっとも…

今のスウェーデンはグローバル化して多国籍国家でもあるので、あちこちから別の文化も入ってきて…休みには街の人混みも多いし、「人が集まる時には、商売も繁盛!」みたいなことで、どこも混んでますけどね。

こんな話もあります。

昔、スウェーデンの新聞で…

「人が金持ちになるには、いろんな理由があるけど…あなたの隣人が、次にあげる4つの理由で金持ちになったとしたら…あなたが納得のいく理由の順番をつけてください」というアンケートをしたことがあって…

その理由というのは、

1 人より才能があった
2 人より余計に働いた
3 世の中にないものを発明した
4 宝くじに当たった

なんですけど…あなたならどう答えますか?

おそらく、一般的な日本人だったら…
2の「人より余計に働いた」が1番になるんじゃないですかね…。
何せ、「勤労は国民の義務」っていう国ですから…。

2番目は、多分「才能があった」とか「何かを発明した」とか…

この時のスウェーデンの新聞に答えた「隣人が金持ちになった理由」として納得のいく答えの順番は…

1宝くじに当たった
2(運動や芸術などの)才能があった
3世の中にないものを発明した
4人より余計に働いた

という順番です。

要は、宝くじに当たって金持ちになる機会は、誰にでも公平にあるから許せるけど…「人より余計に働く」なんてことは、さもしい(卑しい)んですよ。

「人が休む時は、同じように休め!」ですから…人より余計に働いて金持ちになったなんて、気分が良いはずがないです。

それこそ、爪弾き…「抜かれ」ちゃいます。

話は変わりますけど、

スウェーデンが世界に誇るアスリートというと…70〜80年代の、テニスのビョーン・ボルグと、スキーのインゲマル・ステンマルクでしょう。

この二人は同時代のスターで、この二人が出場する大会の日には、誰も仕事をしないでテレビにかぶりつきの状態でした。

ビョーン・ボルグは、ウインブルドン選手権を5年連続で優勝して、2000年のミレニウムでは、スウェーデンの100年間の最高のアスリートとして選出もされたんですが…

スウェーデン人の中には、ボルグのことを内心…「気に食わない奴」…と思っていた人が多かったんです。

理由は、

ボルグは、税金対策のために、モナコに移住したということで、羨望と妬みの対象になりました。

スウェーデン的には、「みんなが平等に払う税金」を免れようなんて…ですよ…。

その後ステンマルクも、おそらく同じ理由でモナコに移住しましたが、彼は「俺、オレ」的なものは全くなく、すごく謙虚で素朴な人でしたから、「ま、才能があるから仕方がない」みたいに、妬まれることもなかったですね。

飛び抜けたのは許されるということになって、それ以来ビョーン・ボルグも「抜かれる」ことなく、ミレニウムの記念行事の時には、100年で最高のアスリートに選ばれて、誰も文句を言わなかったです。

もう一人、すごいアスリートでは、ズラタン・イブラヒモビッチがいます。

彼の場合は、「俺、オレ…」的な自己主張がすごいのと…移民2世なので、「スウェーデン人?」とか、いろいろ思う人も多いでしょうが、彼の場合も特別ですね…。

これ、見てみてください。

このくらいになると…自己中も、移民の2世も、税金も…問題になりません。
今も、彼はスウェーデンの英雄の一人です。

こんな時は、「出過ぎた杭は…打たれない…抜かれない!」になるんでしょうね…

で…、あのヤンテラーゲンも、時代が過ぎると反発する人も多くなりました。

「ヤンテ法」の代わりに「スバンテ法」という…「あんたは、特別なんだよ!」的な自己啓蒙を呼びかけるものが出てきて、今のスウェーデンでは、ユニークさや個性が尊重されます。

「出過ぎた杭は、抜かれない!」です。

でも、一方で…、「ヤンテラーゲン」はまだ生きていますけどね。
みんながみんな、「出過ぎる杭」にはなれないし…
でも、そうすれば、またその中で「出る杭」ってのも出てくるのかも…。

はい、平等精神とやっかみ精神は場合によっては、紙一重になるかも、…って話でした!