相模原殺傷事件に思うこと…

この件に関しては日本のみなさんの方がより詳しくわかっているとは思いますが…、例の相模原殺傷事件のことです。

あの事件を日本のニュースで読んだ時、それはもうショックでした。

スウェーデンで、いわゆる障害者の入所施設が完成期にあったと同時に入所施設の解体が始まった時期から、グループホームへの移行経過やそれ以降のパーソナルアシスタント制導入での自立生活の時期を体験してきた僕としては、それまで入所施設というものの性格からくる弊害なども嫌というほど見てきました。

そして、90年代からは日本の大きな入所施設も訪問する機会があり、スウェーデンとはまた違った形態や障害者の置かれている状況なども目の当たりにしてきました。

入所施設の弊害の中で大きなものには、当然職員による虐待というものがあります。

ニュースになるような虐待事件はもとより、マスコミには出ないような職員による不適当な対応まで含めると、それを大きな意味で虐待と呼ぶならば、おそらく相当数の虐待が日常茶飯事として、どこにでも起きているんだろうとは思います。
スウェーデンだってそうでしたから…。

でも、相模原市で起こったことは、入所者19人が刺殺され、職員を含む26人が重軽症という、今まで考えられもしなかったほどの壮絶な事件でした。

虐待は想像するまでもなく当たり前にあったとしても、19人が刺殺ですよ!

当然、その刺殺者が誰であろうとか、「何故に?」ということが話題となったんですが…、それから1ヶ月ほどして、日本からきた友人が持っていた最新の新聞を読んで、何かいたたまれないような気持ちになりました。

それは同時に、「このままだと、この問題は解決できないだろう!」という、確信にも近い思いでもありました。

事件が起きてから1ヶ月余りは、犯人の人となりやそれまでの行動とか「周りは、なぜ気がつかなかったのか?」とかいう分析ばかり…、それと被害者の名前すら伏された障害者不在の話題とマスコミのニュースでした。

それから3年半たった今、殺人罪などに問われた元職員植松被告に対する裁判の初公判が横浜地裁で開かれました。

そこで植松被告は、起訴内容について「間違いありません」と述べたということです。

加えて、被告人質問では重度障害者を念頭に「意思疎通が取れない人間は安楽死させるべきだ」とか、理由として「社会保障費など多くの問題を引き起こしている」と持論を述べたうえで、その考えは施設で働く中で芽生えたとも言っています。

この事件を巡る一連のニュースや原因を探る動きでは、特に加害者である被告の人間性や施設側の雇用に関することや被告の勤務状態などが話題になりました。

また、被告は事件前に「障害者を抹殺できる許可をください」との手紙を衆院議長公邸に持参し、16年2月に措置入院していたそうで、被告の精神状態も話題になりました。

でも、事件の原因や要因を深く考えると、僕としてはどうしても暗い気持ちにならざるを得ないんです。

一体、彼の考えというのは、彼一人の特出した極端な考えなんだろうか?

彼の行動は許されないとしても、彼の考え方に一定の共感を覚える人は誰もいないと断言できるだろうか?

それは、彼一人の狂気がもたらしたもんなんだろうか、って…。

自身が脳性麻痺による重度身体障碍者である木村英子参院議員は、植松被告の初公判を受けて、ブログで文書を発表して、こう述べています。

記事からの抜粋ですが…

「このような残虐な事件がいつか起こると私は思っていました。なぜなら、私の家族は障がいをもった私をどうやって育てたらいいかわからず、施設にあずけ、幼い私は社会とは切り離された世界の中で虐待が横行する日常を余儀なくされていたからです。(中略)

そんな環境で、職員は少ない人数で何人もの障がい者の介助をベルトコンベアーのように時間内にこなし、過重労働を強いられます。そのような環境の中で、障がい者は、絶望し、希望を失い、顔つきも変わっていく。その障がい者を介助している職員自体も希望を失い、人間性を失っていき、目の前にいる障がい者を、人として見なくなり、虐待の連鎖を繰り返してしまう構造になっていきます。
(中略)

このような環境では、何もできないで人間として生きている価値があるんだろうかと思ってしまう植松被告のような職員が出てきてもおかしくないと思います。」
(参議院議員木村英子オフィシャルサイト『相模原事件発後半にあたり』2020年1月8日から)

そうなんです、これが正に入所施設というものの弊害と実情なんです。

この事件にショックを感じた僕は、その1ヶ月後の新聞の切り抜きを読んで、自分のFacebookに投稿をしました。

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「昨日、日本から人が来た。
久しぶりに、26日付の新聞を読んだ。

1ヶ月前から、この事件についての報道は今も続いているけど…

「しょうがいをもっている」という理由で、人が施設に住んでいるのはおかしいんじゃない?」という話が聞こえてこない。

「施設はどうあるべきか?」とか、
「なぜ周りは気がつかなかったか?」とか…

今日の27日に、TBSテレビで当事者の事件についてのインタビューが放映されたとか…

「しょうがいをもっているというだけ」で、あれほど大きな事件。
自分以外の誰かへの心配りで、名前も公表されない仲間の運命。
そして、多くの仲間はまだそういう「施設」というものに住まわされていること。

たった一人の声かもしれないけど、

他にも、「施設から地域で自立生活」を願う人は大勢いるのは知っているけど…、
そろそろ「そういう声」が多くなって、話から行動に移せないもんだろうか?

だって…、命、無駄にはできないじゃん?」

2016年8月28日、Facebook投稿文より
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僕のFacebookの「友達」には、日本で会った仲間や福祉関係者が大勢います。

そして、その多くは僕とも意気投合し、「やっぱり施設暮らしより自立生活だよね」という点においては共感を共にする仲間だと思っていました。

しかし、反応は意外に少なく、しかも「入所施設はなくした方が良い」とはっきり言う人は皆無に近いものでした。

でも…そもそも入所施設というものがなければ、こんな忌まわしい、しかもこれほど多くの犠牲者が出る事件なんて起こらなかったんじゃないでしょうか?

何で、障害者が入所施設に入らなければいけないんですか?

僕が「入所施設ではなく、地域での自立生活を!」と言う根拠は、「人間は誰でも、施設というものに住むものではない」ということです。

人間は本来、病気や怪我をして病院という施設に住むか、あるいは罪を犯して社会からの隔離をすると決められた刑務所という施設以外は、自分の住処に住むものです。
それが、豪邸であるか貧疎な小屋であるかは問わず、自分の住処です。

入所施設の職員のほとんどは、「ここは自分の住むところではないし、住みたくはない」と思っているはずだと思います。
でも、自分でも住みたくないと思っているところに人が障害を持っているという理由だけで住むのは、おかしくないですか?

障害を持っている人がそこに住むのは、障害者の生活を支援することが理由なら、障害を持っている人が、施設ではなく自分の住処で住むように支援する方法を考えるのが当然じゃないですか?

…と、ここまでは、僕も日本でいろいろ議論してきたことなんですけど…

でも日本には、残念ながら「入所施設がなくならない」と思われる絶対的な根拠があります。

それは、日本では今でも、「家庭環境に恵まれない児童は、児童養護施設に入る」ことが当たり前だと思っている人がほとんどである…という現実です。

いくら「障害者の入所施設を解体してグループホームに移行、あるいは自立生活を支援しよう!」と福祉関係者が訴えたとしても、児童が児童養護施設に住むことを不思議に思わない圧倒的な周りの社会環境では…

「恵まれない児童が児童養護施設に住むのが当たり前なのに、何で自立が困難な障害者が入所施設に住んではいけないのか?」という声を前にしては、ほとんど無力だという現実です。

また、植松被告が自らの思想の「根拠」として再三述べていたのが、「社会的経済の余裕がないこと」でした。
日本の景気が後退し、財政が悪化するなかで、これ以上「人間としての能力に欠ける人」のための社会保障費を捻出する余裕はないというものです。

これに対して世間では、植松被告の差別的、選民的な思想に対して、「健常者であろうと障害者であろうと、ひとりの人間として人権があり、平等である」…と、

「意思の疎通ができなければ人間ではない」とか「生産性がなければ人間ではない」などといった彼の主張に対して、真っ向から反対の声を挙げる人も大勢います。

しかし、彼の「極端な考え」は、実は社会と地続きであるような気もするんです。

つまり、「障害者が入所施設に住むことの、どこがおかしいのか?」という世間の意識と同様の考えと地続きが同じものではないかと思うんです。

私たちの間には、「家庭に障害者がいれば、親や家族が面倒をみるのが当然」として、それができない場合には「施設に預けるよりしょうがない」という考えが蔓延ってはいないだろうか?

そして、社会によりどころをなくしてしまった人を、最終的には家庭に引き取らせて「なかったことにする」動きに対してあまり異議が出ないのも、実は皆がうっすらと「この社会は余裕がないのだから、社会性、生産性がない人まで世間が面倒をみることはできない」という前提を、暗黙裡に共有しているからではないだろうか?

どこかでグループホームを設置しようとすると、まず近所住民の反対に遭うという事実を、今までどれほど多くの施設運営者が体験してきたことだろうか…。

植松被告の思想をどれほど強く否定したとしても、私たちの社会の根本には、「人間を、能力の高低や他者にもたらす便益の大小で選別するのは仕方がない」という考え方がインプットされているのではないだろうか?

これから医療費や介護費など社会保障費は、おそらく毎年のように増えていくことは必至でしょう。

今後は、医療・介護従事者の供給が高まるニーズに対応しきれなくなり、木村議員が述べたような「介助する側もされる側も疲弊する」状況が、改善するどころかさらに深刻化してしまうのは目に見えています。

個人に実感を伴うようなかたちで、医療・介護の経済的・人員的負担がいまよりずっと重くのしかかる時代になって、「もう、これ以上生産性のない事業や生産性のないものに、現役世代がお金も労力も吸い取られるのはおかしい」という論調が広く支持されるようにならないだろうか?

世界的に格差社会が問題になる中、それを単に政治のせいにして言うのは簡単でしょうが、それで解決する問題だとは思われません。

「能力のない者を養う余裕などこの社会にはない」といった植松被告の思想や主張に対し、「絶対に受け入れられない」と拒否し明言するのであれば、社会に対して説得力を与えるような論理で議論を展開し、それを批判するような世論を作っていかなくてはならないのではないだろうか…。

そうでなければ、植松被告が抱いた憎悪に、本当の意味で打ち勝つことはできないと思うのです。

僕のFacebookでの投稿にはあまり反応がなかったですけど、裁判が始まった今、改めて社会の意識を変える必要があること、そして誰かが声を挙げなければいけない切実性を改めて感じています。

ホント、そうでもしなければ、この「名も無い犠牲者」や何十万人といる仲間や同胞が救われないじゃありませんか…

日本公演ツアー(その3)

⚫︎EKO公演の影響

EKOの日本公演は、その後1994年、96年にもそれぞれ全国縦断ツアーの形で行われました。

94年には7週間という長い滞在で、合計18ヶ所での公演、また96年には3週間で8ヶ所での公演が行われました。
3回の全国公演で、合計38ヶ所での公演が行われたことになります。

それぞれのツアーにはそれなりの特徴があり、また日本の障害者福祉に関わる状況も毎回来る度に前向きに変わってきましたが、第1回目の全国公演の時と比べると、共演するグループの演奏の種類が少しずつ変わってきました。
第2回目からは、僕らと同じような形で演奏するバンドがだんだんと増えてきたのです。

これは主催者の方のコーディネートによるのかもしれませんが、EKOの第一回公演の後に出来たグループとも共演しました。
それらのグループの全部ではないにしろ、そのいくつかは、それまでのEKOの公演に刺激を受けてバンドが結成されたということです。

音楽グループとしてのEKOに対する評価は、様々でした。

障害者と健常者が同じ次元で演奏するということでの好意的な評価もあれば、ギターやベース、ドラムというメインの楽器を演奏しているのはリーダーで、障害者のメンバーは打楽器などを演奏していると批判的に見る人もいました。

また、EKOのあり方を音楽療法という範疇で見る人もいれば、健康そうな障害者が舞台で演奏するのは音楽療法ではない、という人もいました。

それぞれの評価は、評価する人の立場や、またその人なりの福祉観、音楽療法観を表しているということであろうし、評価はいろいろあるのが当然です。

しかし、障害を持つ人が自由に伸び伸びと演奏することを目指したグループがあちこちで生まれたことを考えると、それが音楽療法であろうがなかろうが、障害を持つ人が音楽を楽しむことで自分を発揮し周りと共感を分かち合うということへの理解が深まり、またそういう場が増えてきたことも間違いないのではないかと思います。

総体的に日本でのEKO公演に対する受け取り方を考えてみると、日本でのリハビリ的な考え方や姿勢の中で、障害を持つメンバーそれぞれがその個性を表現して、まるで「障害を持っていて、どこがおかしい!」とでもいうように、自分に誇りを持った姿を観客に曝け出すEKOのメンバーの姿が、特に障害者福祉に携わる人たちの間で、新鮮なインパクトになったのではないかと思うのです。

EKOは、98年にもう一度日本での公演を行いました。

その時は、EKOの公演というのではなく、それまでEKOの公演で共演したグループや、またその後に出来たグループがいくつか集まり、「響き合いのフェスティバル」という舞台芸術のフェスティバルが行われたのですが、EKOは客演ということで参加しました。

出演したのは、音楽や舞踏、また和太鼓といういろいろなジャンルのグループで、それぞれ全国から集まってきたのです。

どのグループも非常に高いレベルのパフォーマンスを披露し、見ていた僕らも感嘆の声を上げたものでした。

⚫︎音楽療法か音楽活動か?

特に日本での公演の際によく聞かれた質問の一つに、EKOは音楽療法のグループであるのか、それとも音楽活動をするグループなのかということがありました。

この話題は、特に日本公演の時に、いろいろな形で取り上げられました。

おそらく、僕の肩書きの一つに音楽療法士というものがあったのと、僕自身、EKOは音楽療法のセッションから出発したと紹介したことにもよると思いますが、その他にも、ちょうど僕らが最初に公演を行なった90年代の初め頃には、日本でも音楽療法という概念が広がりつつあって、音楽療法に対する関心が深まっていたという背景があるのではないかと思われます。

各地でマスコミの取材を受けた時は、ほとんどのジャーナリストが音楽療法について質問をしていたし、中には、メンバーの何人かに「音楽をやってから、自分はどう変わりましたか?」などと聞いていたアナウンサーもいました。

その質問がなされると、カメラの周りにいた関係者は真剣な顔をしてメンバーを見つめ、まるで何か神託を伺うかのようにメンバーの言葉を待っていたようにも見えました。

聞かれたメンバーたちは、それぞれ「何も変わってない」と答え、そうすると質問したアナウンサーや周りの関係者は、納得いかないような顔つきをしていたものです。

僕自身は、カメラに向かっていろいろ説明するわけにもいかず、傍で苦笑するのがせいぜいでした。

どだい、自分の状況を把握して、音楽を始める時と今の自分を比べて、音楽をすることによってどれほど自分に成長があったかを論理的に説明出来るのなら、知的障害というものの概念を考え直さなければならないでしょう。

この他にも、「健康そうな障害者が舞台で演奏するのは、音楽療法といえるかどうか」といった声が聞こえたり、「EKOのあり方は、私たちの考える音楽療法とは違う」と公言した音楽療法研究所があったりとか、とかく話題になったものです。

しかし不思議なことに、EKOのあり方やセッションの方法などについて、僕に聞いてきた人も少ないのです。
ほとんどの場合、僕の肩書きとEKOの演奏を見て、それぞれの音楽療法論に当てはめて、それが音楽療法であるか否かを考えていたようでもありました。

もちろん、EKOのあり方や舞台での姿を音楽療法と捉えている人も少なくありませんでした。

しかし、そういう人は「音楽療法で、メンバーはどう変わりましたか」とは聞かないし、またEKOの何がセラピーなのかも、あえて聞きはしません。

ここで念のために断っておく必要がありますが、僕自身、単に舞台で演奏することを目的とした音楽活動と、対象になる人の状況を把握して、より良い状況になるように意図的に働きかける音楽療法の活動は、それぞれ違うものであるという認識を持っています。

舞台で演奏するのは楽しいから、そこで演奏するために集まって音楽をするという場合には、楽しく演奏することが目的であり、その方法もそれぞれが快適に感じて演奏することに満足するものであれば、どんな方法でも良いわけです。
どういうことをするのかは、みんなで決めるという方法もあるでしょう。

これに対して音楽療法の場合は、セラピストあるいはリーダーになる人が、グループや参加するメンバーの状況に対応して、その状況がより快適な状況になる方向性を見つけて、そこに到達するように音楽を意図的に使い、出来るだけその目標に近づくようにするものである、と僕は認識しています。

なので、舞台で演奏するという形からだけでは、それが単なる音楽活動なのか、あるいは音楽療法といえるものなのかを判断することは難しいものです。

それは、その舞台に上がるまでの練習や活動をリードしている人の考え方や方法などの中身によるもので、舞台での演奏という、ある限られた時間の中で見ているだけでは中々わからないものです。

EKOのあり方を音楽療法として捉えた人たちの多くは、舞台で演奏するという形を見ていたのではなく、そこにあった姿勢や関わり方を見ていたのだろうと思います。

⚫︎スウェーデンでは…

EKOの活動が音楽療法かそれとも音楽活動かという問いは、実際の話日本でしか聞いたことがありません。

EKOが訪れた他の国では、もしかすると音楽療法という概念がそれほど広がってなかったのかもしれませんが、そういう質問を受けたことは記憶にないのです。

スウェーデン国内では、デイセンターで音楽をしていない時にはどういう作業をしているのかとはよく聞かれましたが、それが音楽療法であるかないかという議論は今まで聞いたこともありません。

おそらく、音楽というのはそれ自体が療法的な要素を持っていて、それを使うことは障害者のハビリテーションに有効であることは、少なくとも障害者福祉に関わる者であれば大方が共通の理解を持っているので、あえて音楽を使う上での意味などの説明付けを求められることがないということでしょう。

またスウェーデンでは、リトミックが、それをどう呼ぶかは別にしてほとんどの幼稚園で行われていますし、また特別教育の中でも、以前から「社会的、教育的療法」の流れの中で、音楽やリトミックというものが絵画や他の芸術分野と一緒に広く使われていることも挙げられます。

知的な障害を持つ人が音楽活動に参加する場合は、自分のやっていることが音楽療法であるという認識はないし、自分が何かの意味で変わるために音楽をしているとは、まずほとんどは考えていません。

僕自身、彼らを変えるために音楽療法をやっているわけではないのです。

前にハビリテーションということを説明しましたが、障害を持つ人が社会参画していくために彼らを変えるのではなく、彼らが自分というものを認識して、自分であることに自信を持って自分を表現し、前向きの形で社会参画が出来るような状況を作り出すための音楽活動なのです。

⚫︎すべて、音楽の活動

ここで、デイセンターで音楽を作業として行う場合の、いろいろな捉え方を話してみたいと思います。

デイセンターなどでの音楽活動の場合、音楽を担当する指導員は学習連盟からサークル指導員として派遣されるという話は前にも述べました。

学習連盟が行うサークル学習は、いわゆる生涯教育と呼ばれるもので、つまり学習することが目的です。

一方、デイセンターの役割は障害を持つ人の日中活動を保証するものですから、彼ら自身の日常生活における活動を作業として行う場所です。

そこで、音楽セラピストである僕がデイセンターで音楽セラピーを行うわけですが、僕を派遣する学習連盟では、学習の時間に「セラピー」をするというのはその趣旨から外れていますし、またデイセンターとしても、日中活動を行う場所で作業の時間にセラピーを行うということを公言するわけにもいきません。

なぜなら、セラピーとは、個人個人の状況に対し専門家が個人的に対応するもので、それをデイセンターでの仕事として行ったり、また学習として行うものではないからです。

ところが、学習連盟でもデイセンター側でも、僕の行っているセッションは音楽療法であるという認識は持っているのです。

複雑に聞こえるかもしれませんが、音楽というものは、それ自体が療法的な要素を持っているものであり、単に障害を持つ人と音楽をすることが音楽療法でもなければ、あるいはそれらの方法に特別な名前を付ける必要があるわけでもありません。

学習と呼ぼうが作業と位置づけようが、あるいはそれを音楽療法と言おうが、結果として対象となる障害を持つ人が生き生きとして、より快適な生活が出来ることにつながるのであれば、それを何と呼ぶかということは、あまり意味はありません。

加えて、それが音楽療法であるかないかを決定するのは、本来は、それを受けている人であるはずです。

どんなに立派な理論を持っていてもスキルが優れていても、受けている人がそれによって生き生きとして快適に思わなければ、またそれによって前に進む力が湧くものでなければ、それは療法とはなり得ないのではないだろうか…。

また、それを音楽療法と呼ぶのであれば、そのやり方が療法的であるばかりでなく、目的や意図とか手法、さらに対象になる人が前に向かって進む道筋を説明出来なければならないと、僕は思うのです。

そして、「療法か活動か…」、これも厳密にいえばおかしい問いかけではないでしょうか…。

音楽療法といえども、あるいは音楽教育にしろリクレーションにしろ、音楽を使っての活動であるならば、要するに、すべては音楽の活動なのではないかと僕は思うのです。

少なくとも、スウェーデン語的には、そういうことです。

⚫︎決めるのは自分 本人とゴードマン

マリアは、自分の希望であった「パーソナルアシスタント」を雇って、アパートで自立生活をしています。

それは彼女が望んだことであり、彼女の意思によって彼女自身が決定したことです。

「障害者ケア」の基本的な考え方として、社会は障害を持つ人が自分の意思で決めたことが実現出来るように支援する、ということがあります。

しかし、誰もが自分の意思で自分のことを決めることが出来るというものでもないし、特に障害を持っていると、その障害のためにそれが難しいことが多いものです。

また、自分で決めたことや自分の意思が通らない時に、それを申し立てたり、物事を前向きに推し進めていくことも難しいものです。

そのために、障害を持つ人には「ゴードマン」という支援制度があります。

これは、その人の代理人として、その人を代弁したりその人の権利を護る人を、申請により裁判所が認定していく制度です。

簡単に説明すると、例えばEKOのメンバーが外国へツアーに行くとか、あるいはグループホーム全員で外国に行くという場合には、ある障害者が飛行機というものや外国ということを理解してない場合には、「行く、行かない」の答えはゴードマンがするということです。

マリアの場合は、大概のことは自分で決められますが、例えばお金などの管理は難しいし、また、もし彼女の意思が通らない場合に、いろいろな方法でそれが可能になるように自分で進めていくことは難しいわけです。

なので、マリアもゴードマンを持っているし、ゴードマンはマリアの利益を擁護する者として、マリアにとってのベストを考えなければなりません。

市自治体(コミューン)は、その人に知的障害があるとゴードマンをつけなければならない義務を負っています。
もちろん本人には経済的な負担は全くかからず、無料です。

とにかく、そんなわけでヤンネもアンダッシュもゴードマンを持っており、他の多くがそうであるように、二人のゴードマンはそれぞれ彼らのお母さんです。

このように、家族や親というものは一番本人に近いので、ゴードマンになっている人が多いです。

しかし、家族とゴードマンというのはそれぞれ性格が違うものなので、親であることによって子どもの決定にネガティブな影響が出てはいけないし、そのことは裁判所から認定される時にも念を押されます。

ヤンネとアンダッシュは小さい時から同じ地区で育ち、幼稚園も特別支援学校もデイセンターでも一緒でした。

エクトルプ・デイセンターに通っていた頃はそれぞれ両親の自宅に住んでいましたが、EKOデイセンターに移ってからは、マリアと同じグループホームに住むことになりました。

そこで、デイセンターに通うのに、バスを乗り継いで通うか、それとも交通サービスにするかということで議論になりました。

ヤンネとアンダッシュはバスで通いたいと言うし、お母さんたちは、彼ら二人だけでバスを乗り継ぐのは無理だと言う。

またデイセンター側は、ヤンネとアンダッシュが出来るかもしれないから、やらせてみた方が良いのではないかという意見でした。

結果的には、その二人やお母さん方、それにグループホームとデイセンターという全部が話し合って、二人が慣れるまでグループホームの職員が付き添いでバスに乗り、慣れたのを見届けてから自分たちで通うということになりました。

お母さんというものは、子どもの可能性に自信が持てない場合も多いのですが、ゴードマンであったとしても、やはり本人の意思に勝るものはないのです。

⚫︎メイキャップとサウナ

EKOデイセンターのスタジオには、稽古場としてのステージやちょっとした客席になる空間の他に、ステージに面して録音スタジオや、またメイキャップの部屋があります。

演奏会がある時には、会場にメイクや衣装替えの場所があればそこで行いますが、そういう楽屋的なものがない場合など、スタジオにあるメイク室で衣装に着替えたりメイクをして出かけます。

もちろん、男性はあまりメイクをしませんし、洋服を着替えるのも手軽なので、メイク室の利用者は女性のメンバーが多いです。

このメイク室はそんな便宜上のこともあって特別に設計したのですが、実はもう少し違う思惑がありました。
実際には、メイクなしで演奏することも結構あったのです。

思惑というのは、一般的に知的障害を持っている人というのは、自分がどう見えるかについて概して無頓着なことが多いので、自分の姿というものにもう少し関心が持てたら…という思いがありました。

メンバーの中でも、アンやスッシーなどはファッション雑誌を見るのが好きで、時々「うわー、この女性素敵だ!」などと感嘆することも多いのですが、それはまったく自分とは関わりがないと思っているようでもありました。
あるいは、自分はそうなれないと思っていたのかもしれません。

そんなこともあって、演奏の時にはなるべくメイクをするようにしたし、またデイセンターの日課にも、女性メンバーにはスタッフのアニカやビルギッタ、ギュードルンドなどとメイクする時間を組み入れました。

しばらくすると、アンはデイセンターに化粧をして通ってくるようになりました。
毎日ではないですが、時折そんな気分になると、自分のグループホームを出る前に化粧をしてくるらしい。
そう思って見ると、その頃から彼女の着ている服にもセンスが出てきたように思います。
単に自分の持っている良い服を着るというだけではなく、流行のファッションものも買ってくるようになったらしい。

ネッタンは、特に背が高いし脚は特別長いです。

自分では言いませんが、自分の姿が普通とはどこか違うこともわかっているようでした。
なので、メイクをし始めの頃は、「したって、しょうがない」みたいなことを言っていたようです。

ところが、彼女がいつも行っている障害者向けのFUBダンスに行くと、周りから「見て、EKOのネッタンだ!」と言われはじめて、彼女もメイクに関心を持ったらしい。

それからは、FUBダンスに行く時にはメイクをするようになり、周りから「ネッタンだ!」という声が聞こえると、手で髪をすくう仕草をするようになったということです。

EKOデイセンターには、この他にサウナ室があります。
フィンランド式に、熱い石に水をかける本格的なものです。

このサウナも、やはり日程の中に男性、女性に分けて組み込まれていて、作業とか活動というよりは、むしろリラックスの時間として過ごしました。

サウナは熱すぎてあまり好きでないというメンバーももちろんいますが、男性陣ではペーテルや、ヤンネとアンダッシュのコンビが愛用者です。

そしてスタッフのペーテルと一緒に入り、「身体はやっぱり手入れをしないと…」みたいな感じで、衛生や身体を鍛えるようなことも話すのですが、「男同士」の話をすることも多い…。

彼らが「男同士」の話でどんな話をしているのか詳しくは分かりませんが、どうせ、僕なんかも他の男同士で話す内容とはそれほど変わりはないと思っているので、あまり聞いたことはありません。

でも、そのせいもあってか、日本公演も回が増えるようになると、ヤンネやアンダッシュと話をすると、「カッコいい」日本の女性の話が出ることも多くなりました。

今までは、例えば見学などで人が来ても、特に女性に目が向くということもなく、職員は職員、お客さんはお客さんであったのが、しばらくすると、女性のことは「可愛い」とか「カッコいい」とかの評価をするようになってきました。

メイク室もサウナ室も、元々そのような意味で設けたわけではないし、デイセンターの日課としては贅沢に聞こえるかもしれませんが、世間での「君と僕」の関係があって自然に暮らしていくには、音楽ばかりでなく、そんな「普通のこと」も大事だろうと思うのです。

⚫︎そして、今…

僕がEKOデイセンターを依願退職してから、すでに20年という時が経ってしまいました。

その間、EKOのスタッフやメンバーにも変化があり、全部で七人いた当時のスタッフはみんな退職して、現在はまったく別の職員がいます。

残念ではありますが、ニッセやネッタン、ヤンネなど、すでに亡くなってしまったメンバーも数人いますし、スタッフのビルギッタも相当前に他界して、現在でも残っているのはアンダッシュやペーテルなどほんの数人のメンバーだけで、デイセンターの利用者もすっかり変わってしまいました。

スタジオや録音スタジオも改造したとはいえまだ残っていますが、隣接していた企業の空き部屋もコミューンが引き継いでデイセンターに組み入れたので、場所も随分と広くなりました。

音楽の時間はそれなりに続けているようですが、外部での演奏活動はまったくないということです。

演奏活動というものは、デイセンターの運営とは違った要素があり、僕が退職した時点で、それを継続することが出来なかったようです。
そのため、僕が退職すると、ヤンネもアンダッシュも練習することさえ止めてしまったらしいのですが、それは本当に残念に思っています。

そして、音楽というものはその時その時の心や感情の交換ですから、絵画や文学のように、後からも鑑賞できるものでもなく、CDやビデオなどに残されたものを辿るしか出来ないという性質なので、それもまた残念なことです。

しかし、現状や環境は変わったかもしれませんが、今までEKOが歩んだ足跡は辿ることが出来るし、苦労や感動の体験は、当時のメンバーやスタッフにとっても、それぞれ歩んでいく上で、これからも心の中に残っているのだろうと思います。

今でも、特にアンダッシュは近くに住んでいることもあって、会う時にはいつのように話をしていますし、昔話にも花が咲きます。

みんな、それぞれ「君と僕」という関係であったし、それはいつまでも変わることはありません。

音楽という繋がりがそうさせているのかもしれないし、世界を一緒に回ったという体験からかもしれないし、あるいは10年以上も一緒に行動した年輪なのかもしれません。

とにかく、僕らは音楽をすることでひとつになった、かけがいのない「仲間」でした。