出る杭は「抜かれる」、出過ぎた杭は?

スウェーデンというと、やっぱり「平等の国」というイメージがありますよね?

確かに、昔からいろんなところで平等っていうのは謳われているし、女性の人権とか、子どもの権利とか…ウーマンリブだってスウェーデン発祥だし、1970年に出来た「子ども体罰禁止法」も、やっぱり世界最初だったし…そういうのも、「平等精神」から生まれたものに違いないでしょう。

ところで、日本じゃ、よく「出る杭は打たれる!」って言いますけど、こっちでは、「出る杭は打たれる」とは言わずに、「ヤンテラーゲン」(Jantelagen)、「ヤンテ法」って言葉をよく使います。

「それって、ヤンテラーゲンだよね」とか、
「やっぱり、ヤンテラーゲンだから…」とか…

これは別に法律というわけではないんですけど…

デンマーク育ちのノルウェー人、アクセル・サンデモーセ(Aksel Sandemose)という人が1933年に出版した本に出てくるもので、いわゆるスウェーデン人の「精神構造」というか…典型的なスウェーデン人というものの「あり方」というのを表現したでものです。

訳せば、

「あんたは、自分が…

何か特別な人だとは思うな
私たちのように善良な人だと思うな
私たちより賢いと思うな
私たちより優れてるなんて考えるな
私たちよりものを知ってると思うな
私たちより上だなんて思うな
何か出来るなんて思うな
私たちのことを笑うな
誰かに関心を持たれてるなんて思うな
私たちに何か教えられるなんて思うな」

という10か条が書かれてるんですが、以来、これが典型的なスウェーデン人ということで、誰もが大声では言わないけど、それはそれで納得してきたもんです。

要は、「自分は、何か特別な人」だとか、「人より優れてる」なんて考えるな!ってことです。
つまり、「私たちと、同じようにしていろ!」ってことですよね。

それほど平等精神が強いと、「出る杭は打たれる」じゃ足らずに、「出る杭は、抜かれる!」みたいになっちゃうんですよ…。

昔、僕がストックホルムに来てすぐの頃、日曜日に街の中心地を歩いていて…「どっかお茶でも飲もうかな〜」なんて考えて探したけど、町中のコーヒー店ばかりじゃなく店という店が全部閉まっていて…「何て寂しい街なんだろう?」って思ったことがあります。

これが日本なら…

「休日っていうのは、街中が賑わうんじゃないのかな…?」って思いますよね?それが、こっちじゃ街中がひっそりとしていたのでびっくりしました。

これなんか、商店の組合なんかが、「人が休みの時は、お前も休め!」という感じで、日曜日はどこも休み…

そんな中で、「いや、もっと儲けたいから!」って自分だけ店を開く…なんてことすると、それこそ、「抜かれて」しまいます。

これも、平等精神の表れなんですけど…うがった見方すると、「やっかみ精神」とも言えるかも…なんて思っていました。

もっとも…

今のスウェーデンはグローバル化して多国籍国家でもあるので、あちこちから別の文化も入ってきて…休みには街の人混みも多いし、「人が集まる時には、商売も繁盛!」みたいなことで、どこも混んでますけどね。

こんな話もあります。

昔、スウェーデンの新聞で…

「人が金持ちになるには、いろんな理由があるけど…あなたの隣人が、次にあげる4つの理由で金持ちになったとしたら…あなたが納得のいく理由の順番をつけてください」というアンケートをしたことがあって…

その理由というのは、

1 人より才能があった
2 人より余計に働いた
3 世の中にないものを発明した
4 宝くじに当たった

なんですけど…あなたならどう答えますか?

おそらく、一般的な日本人だったら…
2の「人より余計に働いた」が1番になるんじゃないですかね…。
何せ、「勤労は国民の義務」っていう国ですから…。

2番目は、多分「才能があった」とか「何かを発明した」とか…

この時のスウェーデンの新聞に答えた「隣人が金持ちになった理由」として納得のいく答えの順番は…

1宝くじに当たった
2(運動や芸術などの)才能があった
3世の中にないものを発明した
4人より余計に働いた

という順番です。

要は、宝くじに当たって金持ちになる機会は、誰にでも公平にあるから許せるけど…「人より余計に働く」なんてことは、さもしい(卑しい)んですよ。

「人が休む時は、同じように休め!」ですから…人より余計に働いて金持ちになったなんて、気分が良いはずがないです。

それこそ、爪弾き…「抜かれ」ちゃいます。

話は変わりますけど、

スウェーデンが世界に誇るアスリートというと…70〜80年代の、テニスのビョーン・ボルグと、スキーのインゲマル・ステンマルクでしょう。

この二人は同時代のスターで、この二人が出場する大会の日には、誰も仕事をしないでテレビにかぶりつきの状態でした。

ビョーン・ボルグは、ウインブルドン選手権を5年連続で優勝して、2000年のミレニウムでは、スウェーデンの100年間の最高のアスリートとして選出もされたんですが…

スウェーデン人の中には、ボルグのことを内心…「気に食わない奴」…と思っていた人が多かったんです。

理由は、

ボルグは、税金対策のために、モナコに移住したということで、羨望と妬みの対象になりました。

スウェーデン的には、「みんなが平等に払う税金」を免れようなんて…ですよ…。

その後ステンマルクも、おそらく同じ理由でモナコに移住しましたが、彼は「俺、オレ」的なものは全くなく、すごく謙虚で素朴な人でしたから、「ま、才能があるから仕方がない」みたいに、妬まれることもなかったですね。

飛び抜けたのは許されるということになって、それ以来ビョーン・ボルグも「抜かれる」ことなく、ミレニウムの記念行事の時には、100年で最高のアスリートに選ばれて、誰も文句を言わなかったです。

もう一人、すごいアスリートでは、ズラタン・イブラヒモビッチがいます。

彼の場合は、「俺、オレ…」的な自己主張がすごいのと…移民2世なので、「スウェーデン人?」とか、いろいろ思う人も多いでしょうが、彼の場合も特別ですね…。

これ、見てみてください。

このくらいになると…自己中も、移民の2世も、税金も…問題になりません。
今も、彼はスウェーデンの英雄の一人です。

こんな時は、「出過ぎた杭は…打たれない…抜かれない!」になるんでしょうね…

で…、あのヤンテラーゲンも、時代が過ぎると反発する人も多くなりました。

「ヤンテ法」の代わりに「スバンテ法」という…「あんたは、特別なんだよ!」的な自己啓蒙を呼びかけるものが出てきて、今のスウェーデンでは、ユニークさや個性が尊重されます。

「出過ぎた杭は、抜かれない!」です。

でも、一方で…、「ヤンテラーゲン」はまだ生きていますけどね。
みんながみんな、「出過ぎる杭」にはなれないし…
でも、そうすれば、またその中で「出る杭」ってのも出てくるのかも…。

はい、平等精神とやっかみ精神は場合によっては、紙一重になるかも、…って話でした!

大化の改新は、本当にもう終わったんだろうか?

官と公・民という関係

大化の改新は本当にあったのかとか、聖徳太子は実存したのかという疑問の説もあるようだけど、しばらく海外に住んで日本と違う価値観なんかも実感して、改めて日本のあれこれを考えてみると…

どうも日本じゃ まだ大化の改新は終わってないんじゃないかって気がしてくるんですよね…。

律令制度というのが鎌倉時代になくなり、サムライの時代になると、やがては下剋上なんか起きたりして…もっと後になると公家さんというものの権威なんて疑わしくなるような時代も長く続いたんだろうけど、

明治になると、またあの「公・官・民」という関係が戻って来て、また僕ら日本人には、それが精神構造の土台になって来たような気がするけど、どうなんだろうか…?

大化の改新以来、「官は公のために民を司る 」みたいなことが、ずっと僕らの頭の中に根を下ろして離れないんじゃないかって思うんです。

昔は、官僚になるためには東大寺で六法を学ばなければいけなかったらしいけど、今ではそれが東大・京大とかいうピラミッドになって幅が広くなっただけで、

世間の家庭では、「叶うなら、自分のこどもは東大を出てエリートになって欲しい」と思っているんじゃないですかね?
日本で純然たるエリートといえば、正に官僚に他ならない…でしょ?

明治維新後から戦前までは、日本の官僚は天皇に仕える役人という位置づけだったそうな…。
今は憲法で天皇は国民の象徴ということになったから、官僚も天皇に仕えるんじゃなくて、そこは国民に仕えるってことなんだろうけど…

昔の「公」というのが「国」とか「国民」になったとしても、今の霞ヶ関のお役人は、まだそういう「官・公・民」というか、「官は国のために民を司る」みたいな特権階級意識を持っていて、僕らも無意識でそう認めてるとしか思われない…。

いろんな議論はあるにせよ、今の日本人の多くは「政治は、実は霞が関の官僚が行ってる」と思っているでしょ?

実際、法案を作る時も官僚の手出しなしでは出来ないような仕組みにもなっているらしいし、多くは官僚が作成したものを、政治家がちょっと手直しして国会で審議して終わり。

最近は、少し政治の力というか「官邸」なんかが強くなって、「忖度」っていう、今まで全く知らなかった言葉も流行ってる時代になって、官僚も「官邸」とかに弱くなっているように見えるけど、

そう見えるだけで…

実際に政治家が強くなり過ぎると、官僚からのリークなんかでスキャンダルになって…辞任させられたりして…。

「政治家主導の政治を」なんて御託を並べても、政権が代わってもそれは同じだったし…

もう、明治時代に廃藩置県をやって士族が平民になったよりも、もっと大きい改革でもやらなければ無理だろうと思うのは僕だけだろうか?

どだい民主主義っていうのは三権分立、つまり司法と立法、それに行政はそれぞれ分権しているというのが建前だけど、もし官僚が法律を作って行政を握っているとすれば、こりゃもう民主主義でもないわけだ。

「政・官の癒着」なんてのも、耳が痛いほど、目が腐るほど見聞きしてるけど、政治家と官僚の癒着なんてものはその「非民主主義」の最たるもんで、これがダラダラと続いているのを許している僕ら国民って、一体何なんだろうね。
つまりは、官に支配されている民ということなんだろうか?

…だとしたら、やっぱり日本はまだ大化の改新以来の構造が続いているっていうか、大化の改新はまだ終わってないっていうことじゃないのかな?

大化の改新は孝徳天皇二年春正月甲子朔(西暦646年)に発布というけど、えっ、それじゃあ1300年以上も前になるわけだ。
う~ん、1300年以上も前からの精神構造か…これは続くわね…多分これからも…