Profile プロフィール

こんにちは、オターキこと大瀧昌之です。
スウェーデンでは、オターキと呼ばれます。

ちなみにですけど…
しばらく自分の姓を「大滝」と書いていたんですが、日本で免許証を取得する時に、僕の名前は「大瀧」と書くということがわかって、それからは「大瀧」と書いています。
(どうでも良いんですけどね…)

1969年に片道切符で渡欧、スウェーデンに入国してから…足掛け55年。
当時は「北欧無宿」と呼ばれていたヒッピーで、担いで来たギターを手に10年くらい音楽生活やら皿洗いやらいろいろやっていましたが…1979年に職安で紹介された障害者の施設に勤めてから、施設の支援職員を経て音楽セラピーを担当することに…
「音楽療法って、何をどうするの?」から始まって、音楽療法を習得するために王立ストックホルム音楽大学で学び、再び知的障害を持つ人たちとの音楽に専念。

そんな生き様を数年してから…

「セラピーとして四角い部屋の中で音楽するより、観客と一緒にステージの上で思いっきり演奏する方が、よっぽど活性的で療法的だ!」という…極めてロックンロールな体験をしながら、それまでやっていたセッションの仲間たちとスウェーデン国内や国外で演奏活動して、1992年、1994年、1996年と1998年には日本公演もやりました。

日本中36都市での公演と、それ以降毎年日本でいろいろ交流する中、ホントに大勢の人や施設や団体と交流…。
それが、クラブEKOという仲間たちとの交流の場につながりました。

その後いろんなことがあって、EKOやデイセンターからも離れ…日本に飛び…

いろんなふれ合いを体験しながら…12年間日本で過ごす…という、まさに渡り鳥生活の後、2015年にスウェーデンに戻り…今は年金者生活やってます。

いろいろ振り返りながらも、生まれた国日本と自分で選んだ国スウェーデンの間で自分が出来ることといえば、遠くて近い日本とスウェーデンの架け橋になることかな…と思う今日この頃です。

「でも、どんなことやってきたの?」と思う人もいるかと思うので、簡単な略歴を載せます。

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大瀧昌之 プロフィール

1942年 札幌市に生まれる
1949年 北海道札幌市立桑園小学校入学
1955年 北海道札幌市立向陵中学校入学
1961年 北海道立札幌西高等学校卒業後、日活株式会社北海道支社劇場課に入社
1962年 日活を退社、中央ソニー株式会社に入社、働きながらアマチュア演劇活動を行う
1963年    プロ劇団「劇団サッポロ」に入団
1965年    上京、劇団三期会演劇研究所に入所
1966年    劇団「三期会」入団
1969年9月 片道切符で訪欧 スウェーデンに入国、クラブやライブハウスで音楽活動を行う
1970年 ストックホルム大学IESスウェーデン語科に入学
1979年 知的障害者の入所施設「ビヨーンクラ」に勤務
1980年 入所者(約150名)の音楽活動のシステム化に参加
1981年    ストックホルム援護局支援職員養成学校に入学と同時に、王立ストックホルム音楽大学音楽療法科に入学
1985年 市内10箇所のデイセンターで音楽サークル活動
1988年 知的障害者デイセンターでロックグループ「EKO」結成、同時に県自治体南地区援護局の音楽セラピストとしての活動の他、教育公団ABFの音楽サークルリーダーの指導を兼任
1991年 ナツカ市で知的障害者のデイセンター「EKO」設立
1992年、1994年、1996年、1998年、EKO日本公演ツァー
1995年 「クラブEKO」を設立、ワークショップ、講演活動を行う
1999年 デイセンター「EKO」を退職、フリーとなる
2001年 北九州市立大学文学部人間関係学科客員教授就任
2003年 栃木県足利市の「むつみ会」総合アドバイザー就任
2005年 「日本スウェーデン福祉研究所」アドバイサーに就任、緩和ケアに基づく認知症ケア教育とタクティール・マッサージをスウェーデンから導入
2009年 「スウェーデン福祉研究所」にアドバイザーとして就任
2010年 埼玉県鴻巣市の法人「一粒」の顧問に就任、同年「日本ハプティックセラピー協会」設立
2013年 東京都、埼玉県、神奈川県の施設で音楽セラピー活動を行う
同年「スウェーデンハンドセラピー協会」を設立
2015年 スウェーデンに帰国
2017年 「北欧福祉研究所」顧問に就任、現在に至る。

著書:  「スウェーデンの社会福祉と音楽療法」音楽之友社 2003年

著書:  「EKO・こだまするもの」かど創房 1992年

翻訳:  「さようなら施設」オーケ・ヨハンソン著 ぶどう社 1997年

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