「それ、スウェーデンだから出来るんでしょ?」というパターン!

先日、日本のあるポピュラーなIT企業の方と、ストックホルムでいろいろな分野で活躍されている若手の日本女性たちと全部で10名ほどのランチ会がありました。

「日本とスウェーデンでは、何が違うのか…何か共有できることはないか…」という趣旨の話し合いだったと、僕は理解しました。

そして、それはそれで有益な集まりでした。

で、いろんなこと、教育とかものの考え方とか、家庭での様子や仕事場のことなど、いろんな話題が出て、こちらに在住の日本人女性も、それぞれの立場からの話が出て、日本からきたその企業の人たちも、ある意味満足されたんじゃないかと思います。

それはそれで良かったし、その集いも和やかで楽しい雰囲気で…いろいろな情報の交換も出来たと思うんですが…

こうして、日本とスウェーデンの違うところとか、その違うところで、何が違うということを共有して、それをどうしていくのが良いか…などを話し合っていると…

正直…

「あ〜、またか…」と思ってしまうところがあるのと…

「だからこそ、新しい視点で…」と思うところがあります。

僕が福祉関連で初めて日本に行ったのは、今から27年前でした。

その少し前から、日本からはこちらに特に福祉関連での研修や視察旅行で来る人も増えて、こっちでいろいろ話す機会もありましたから、それを考えるとかれこれ30年も前の頃からいろいろお付き合いをさせてもらってました。

それ以来、日本の人たちとスウェーデンのことについて話して、やれノーマライゼーションだの地域福祉だの教育のことだの、どれほどの人とどのくらい話したか…

で、僕は僕で日本の友人や知人たちと共感し合ったり、「日本もスウェーデンのように福祉の質が高まると良いよね〜」なんて話し合っていたんですが…

いつも、厚い壁を感じてました。
それは、もっと広い日本の中では、結局…

「でも、それってスウェーデンだから出来るんだよね〜」
という声の中に埋もれてしまっているっていう現実です。

「やっぱり、日本とスウエーデンは違うよね…!」
「いくらメルヘンの話を聞いても、現実は現実…!」
「日本とは、文化も歴史も考え方も違うから…!」

実際、こっちで意気投合して一緒の飛行機で日本に飛ぶと、途中までは良いんですけど、シベリア上空を越え、佐渡島の上空から北陸の海岸線が見える頃になると…みんな一応に「…」となって…

そう、現実がそこに見えて来るっていうんですかね…

そりゃそうですよ!

「日本とスウェーデンと、何が違うか?」っていうと、正直数え切れないくらい違うことがあるんで、これはもう根本的に人間までもが違ってるんだって思ってしまいます。

歴史とか文化っていうけど、今見てるものが現実で、現実はとにかく見た目にも聴く耳にも違って映る。

今見る世界はビジュアルなもので、眼に映るものが現実になりますからね…

だから、「何がどう違うのか」ということを知りたくなるのは当然だし、その意味を掘り下げることは大事なんですが…

それだけだと、結論的に「やっぱり、日本とスウェーデンは違うよね〜?」の話になってしまいがちです。
そして、それは30年前から同じパターンだったような気がします。

時々思うんですけど…

「昔のスウェーデンは今の日本と同じようなことがたくさんあった」ということを知り、そこから始めると…

「それはスウェーデンだから…」ではなく、
「えっ、スウェーデンも日本と同じようだったの?」にならないかということです。

だとしたら、「日本でも、そうなるのかも?」と…新しい目で見て、その違いがたぐり寄せやすくなるんじゃないかと思うわけです。

昔のスウェーデンっていうと、封建制度があったり貴族や僧侶や商人や農民という身分制度があったり…

こっちで社会民主党が「平等」ってことを旗印にして「国民の家運動」やっていた頃は、日本でもヨーロッパでも労働者のストや騒動があった騒々しい時代で、日本でもスウェーデンでも、革命思想とか政府による労働運動の弾圧とかもあって…
日本では大政翼賛会があれば、スウェーデンも同じような中興の動きがあったり…

方や日独同盟があれば、方や当時のナチスの思想はスウェーデンにも影響を与えていたし…みたいに…

それが変わったのは、お互い第2次世界大戦が終わってからですよ。

それからだって、産業の発達とか、地方から都市への移動で過疎化とか核家族化とかに進んで、家族構成も変わるし少子高齢化も進むし、国内での生活構造と人口問題で外国からの移住者も増えて来るとか…

優生保護思想とか不妊手術だって、スウェーデンでも1970年代頃まであったですから…

似てるところあるんですよ、日本とスウェーデンは…

言ってみれば、スウェーデンというのは、そういう世界的な動きの中で先を歩いていたというか…

日本とスウェーデンが同じだったことがそれほどあるのなら、そのスウェーデンが「なぜ、どういう風に変わってきたのか?」ということを考えないと…

いつまで経っても、

「日本とスウェーデンは違うから」
「それはスウエーデンだから出来るんでしょ?」

というのがなくならないんじゃないかと思うんですけど、どうなんですかね?

それにしても、まず「何が、どう違うのか?」を知ることは、そりゃ大事なことです。
そこから始まるというのも、もちろん良いでしょう。

でも…30年も同じパターンの取り組みしてるとなると、何だか本質的なものはいつになっても見えてこないような気がするんですけど…どうなんでしょうね?

そろそろ、「スウェーデンは、なぜ、どうやって、今のスウェーデンになったのか?」という視点で見る議論が、それこそITテクを使ってでも、広まって欲しいと思います。

先日のランチ会良かったです!
これから、そんな風に「前向き」に進んでいくと良いと思いました!

(これは、加筆です!)
かく言う僕も、今まで随分「日本とスウェーデンの違い!」を言ってきたような気もするし…と…少し反省の意味も込めて…ですけどね!

ふ〜っ、今日はまた堅苦しいことを言っちゃった気がしますけど、これも夏至も過ぎて、夏の休暇に入ったからですかね…w

アイデンティティーの話!

僕の住んでいるところには、外国からの移民が多いということは前にも書きましたけど…

イスラムの衣服であるガラバイヤを着ているヨーロッパ人を見たり、アフガニスタン人から「兄弟」と言われて戸惑ったり、自宅のバルコニーから見える児童公園でスウェーデン語で遊んでる子供たちを見ると、時々アイデンティティーということを考えます。

日本にいた若い頃は、自分のアイデンティティーというのはあまり考えたことがなかったし、強いて言えば、子供の頃に北海道以外の地域のことを「内地」というのを聞いたことがある程度…

あとは、身に覚えのない「昔は士族」ということに不思議な気持ちを覚えていたくらいでした。

こっちに来てからは、もちろん自分は日本人だということは自覚してるし、日本とスウェーデンと比べて「これはおかしい」とか、日本の方が良いとか悪いとか考えたことはたっくさんあるけど…

それでも、自分のアイデンティティーを考える…というのともちょっと違って、「俺は俺」的に過ごしていました。

人はそれぞれ違うというのは、どこへ行っても同じですから…

でも、それ以降ですけど、自分で「えっ?」と思ったことも何回かあります。

最初は、こっちに来てから10年もたった頃…

ある時自宅で何気なしにラジオが流れてるのを聞いていて、何か不思議な楽器で…聞き慣れたような…ないような曲が流れているのに気が付いた時…

「あれっ、これバンジョーみたいだけど、そうでもないし…ブルースのようにも聞こえるけど、そうでもない…」と思いながら聞いてると、曲が終わった後でコメンターが…

「ただいまのは、日本の『ツガルジャミセン』という楽器の演奏でした」と言ったのを聞いて、ホントにビックリしましたね…

日本にいた時は、芝居は新劇、音楽はフォークやロック、演歌は酒場で聞く音楽で…「歌舞伎や浄瑠璃なんて、何言ってるかもわからん」ってな調子で、どっちかというと、正直日本のものよりもアメリカ・ヨーロッパ的なものを追っていた感じだったし、僕の世代そのものがそうだったような気もしてました。

ところが…

その時、バンジョーかと思ったのが津軽三味線で、ブルースかと思った曲が東北の日本民謡っだってわかって…

「俺は一体、日本の何を知っているんだろう?」という、いわば逆カルチュアショックを、ドカーンと感じたわけです。

こっちに来て10年も経って、それこそ黒人や白人、いろんな国からの人と演奏やって、こっちの生活にも馴染んで…

いろんな人と日本人や日本についても話をして…

でも俺は日本って国、実はよく知らなかった…って気付いた時のショックは大きかったです。

それからですね…禅の本を読んだり、司馬遼太郎の「街道をゆく」を読み漁ったり…

インターネットなんて、まだなかった時代の話です。

それからまた10数年経って、スウェーデン人のグループと日本に演奏ツアーに行った最初の年に、ある人に…

「JRって何ですか?」とか「NTTって?」と聞いたら、その人から…
「オターキさんって、日本人なんですかスウェーデン人なんですか?」って聞かれた時…

もっと経って、ガンで入院していた親父との今生の別れを前に札幌の病院を訪ねたら、親父がお袋に「お前…もうあいつは日本人じゃないんだから…気にすんな!」って病室でコソッと言ったのをドア越しに聞いた時…

まぁ、他にもそんな話はたくさんあるんですが…

とにかく、自分はスウェーデン人でも日本人でもないって思わされる時があって、「じゃあ、俺は何人なんだよ?」って思うことも度々でした。

時々…何か考えたり、人と話していて…

「俺がこう考えるのは…

俺がスウェーデン長いからか?
それとも、日本から来たからか?

そもそも、日本から海外に出てしまうような俺だからか?
それとも、今は、ただそういう俺だからか?」

などなど…

でも…

今、こうしてバルコニーの外から、いろんな人種が、その人種ともまた違うだろう子どもたちと公園で語らってるのを見て、

改めて、「何人なんて関係ない。自分は自分!」って、つくずく思いますね。

そして、日本人とか侍の末裔とかそんなこととは無関係でも、自分の子どもに「侍って、何?」と聞かれると、「う〜ん、文武両道ってこと大切にする人かな?」って言ってます。

侍の由来とかどんなもんかはある程度教えてあるけど、それでも、子どもなりに気になるらしい。

それにしても、「文武両道」って、何も武士の精神だけじゃなく、本当はもっとグローバルなもんだと思ってます。

人間って、要は「身体を持って、考える存在」じゃないですか…

「自分なりの考えや知識を深めて、生きている身体を健康にすること」ですから、「文武両道」ってのは何も武士の精神っていうよりも、もっとグローバルなもんだと思います。

スウェーデン人にはそういう人いっぱいいますし、大体これって、何人とかどんな人とかって関係ない。

普通に、人間ってそういう生き物なんだと思います。

津軽三味線もグローバルだし、武士道もグローバルだし、そう思うと、人間って元々グローバルな生き物んですよね…