知的障害者

独り言の部屋

相模原殺傷事件に思うこと…

この件に関しては日本のみなさんの方がより詳しくわかっているとは思いますが…、例の相模原殺傷事件のことです。あの事件を日本のニュースで読んだ時、それはもうショックでした。スウェーデンで、いわゆる障害者の入所施設が完成期にあったと同時に入所施設...
音楽の広場

日本公演ツアー(その3)

⚫︎EKO公演の影響EKOの日本公演は、その後1994年、96年にもそれぞれ全国縦断ツアーの形で行われました。94年には7週間という長い滞在で、合計18ヶ所での公演、また96年には3週間で8ヶ所での公演が行われました。3回の全国公演で、合計...
音楽の広場

日本公演ツアー(その2)

⚫︎歓迎会、仕込み、演奏、打ち上げ、そして、また…「うわ〜っ、あんなに旗がいっぱい!」、新幹線である駅に着いて改札口を出ると、みんな一斉に声をあげました。改札口には、日本とスウェーデンの国旗を持った一団がいて、僕らの姿を見ると、「うわ〜、来...
音楽の広場

日本公演ツアー(その1)

⚫︎日本公演のきっかけ「偶然が偶然を生む」とはよく言ったものですが、1990年の秋に、僕らがモスクワに行った時のビデオがスウェーデンのテレビ局で放映されました。ちょうどその日に、スウェーデンの福祉を取材に長野市からストックホルムを訪れていた...
音楽の広場

そして、海外へ

⚫︎「ネクスト・ストップ・モスクワ」への参加1989年といえば、ロシアがまだソ連と呼ばれていた終わりの頃で、ゴルバチョフの「ペレストロイカ」旋風が起きていた頃です。この頃は、旧ソ連の内部で表現の自由を求めていろいろな動きがありましたが、スカ...
音楽の広場

公演とツアー

⚫︎デイセンター回りEKOが初めて人前で演奏したのは、前にも述べたように、職員会議の後でのデイセンターでしたが、デビューというものでもなく、どちらかというとグループのまとまった演奏を披露するというものでした。その後、その時の演奏を聴いたメン...
音楽の広場

「EKO」の活動

⚫︎活動方針「EKO」がバンドとしてスタートし、また1991年にはエクトルプ・デイセンターから独立して独自の音楽活動をする「EKOデイセンター」として活動を続けていましたが、その活動方針は、大きく分けて四つありました。ひとつは、あくまでも障...
音楽の広場

「EKO」誕生!

⚫︎イェー!ロックバンドだ!「みんな、凄いロックじゃない!」「まるでロックバンドみたいだよ!」「ロックバンド、やろうか!」1986年の秋も深まってきたある日、いつものセッションも終わりに近づくと、僕はメンバーたちにそう声をかけました。それま...
音楽の広場

デイセンターでの音楽

⚫︎デイセンターで音楽のグループを作る1979年に、当時スウェーデン最後の入所施設として閉鎖されたビョーンクッラに勤務した僕は、その後1981年にストックホルム県援護局の介護支援職員養成所での養成課程を修了すると、ストックホルム市の東に隣接...
福祉と医療の広場

ハビリテーションって、何をどうするの?

ハンディキャップということ「元の状態に回復させる」ためのリハビリテーションではなく、「持っている機能を生かしてさらに発達させる」というハビリテーションの考え方は、障害という事について今まで私たちが持っていた概念や姿勢などについて、考え直す必...