ナミ(南正人)への鎮魂歌

独り言の部屋

いつもは遅寝遅起きで昼まで寝てる俺が目を覚ましたのは、朝の8時前…

トイレに行ってまた寝たら二度寝できるだろうと思って、とりあえずトイレに行ってからベッドに入ったけど、何となく眠れない…。

「ニュースでも見てみるか…」と思って、傍にあったスマホでニュース捲っていたら…
「泉谷しげるら影響与えた南正人さん、ライブ中に急死」って文字があって、思わず目が覚めた。

南正人、間違いなく…あのナミのことじゃんか…

慌てて読んだら、ライブ中に倒れて、病院に担ぎ込まれた時にはもう死亡していたとか…
時差があるから、回らない頭で計算してみたら、どうやら俺がベッドに入った頃らしい。
数時間しか寝てないのに何故か目が覚めたのは、そのせいかと思って起き上がった。

ナミ…、アイツがいたから俺がこっちに来たようなもんだし、生き方でも音楽でも、俺が一番燃えてたのはアイツに出会った頃かもしれないんよな…

しばらくニュース読んだり思い出したりして、今日は1日いろんなこと振り返ってみたくなった。

「鎮魂歌」ったらなんか送る歌みたいだけど…俺は詩なんか書けねぇから、思いつくままにあの頃のこと振り返って書いてみようと思った。

だからタメ口ばっかになるけど、ナミなら気にしねぇよな!

自由が丘のヒルサイド通りの近くにある路地を入ると、「青い旗」ってスナックがある。
何年か前に行ったらまだあったから、あれから50年以上も続いてるんだろうな…

1966年、67年年当時、今は「東京劇団アンサンブル」って名前に変わった「劇団三期会」の研究生だった俺は、劇団の先輩に紹介された鷺宮にあるバーでバーテンやっていて、時たまギターで弾き語りやってたんだけど、芝居好きな客の「自由が丘に感じの良い店があるんだけど、そこで弾き語りやったら?」というのを聞いて飛び込んだのが、このスナック「青い旗」だった。

オーナーは、その昔松竹映画の撮影所で何かの仕事をしていた人を親父に持つ3人の兄妹で、まぁ自由が丘っていう土地柄もあるんだろうけど、スナックの常連には沢たまきとかフォークのマイク真木の取り巻きとか、鷺宮とは全く違う匂いのする人が多かった。

前置きが長くなったけど…

とにかく、そういう一風上品なスナックで弾き語りやってたある日、見たところいかにもヒッピーという、長身の痩せて…長髪に黒眼鏡かけてギターを持って店に入って来たのがナミだった。

その頃はフォークのハシリの頃で、俺も一応サムピック使ってフィンガーピッキングもやってたから、ナミもチラッとそれ見て、「俺も弾いて良い?」とか言いながらギター取り出して弾きだしたのが、ボブ・デュランの「Don’t think twice, it’s all right」だった。

それを聴いて驚いたのは、アイツのギターは正確なピッキングで音が澄んでいてカッコも良かったけど、とにかく英語の発音が半端じゃなかったこと。
まだ海外にも出てなかった俺には、完璧なアメリカ英語に聴こえたもんな…。
俺の中途半端なポップな音と違って、目を瞑って聴いてると…まるでニューヨークのグリニッジビレッジにいるのかとも思わせる雰囲気を醸し出していたっけ…。

後で聞いたら、東京外語大学でスペイン語やって、そこを休学してメキシコに行ってから、何でも…手を出しちゃいけねぇ娘と危ないことになって…親族に殺されるとヤベ〜から、サンフランシスコ経由でニューヨークに逃げたとか…凄くね?そういう話…!

で、北欧にも行ってたとかで…そういう放浪から帰ってきて「何しようかな〜」って考えてた頃、その「青い旗」じゃ弾き語りできるかも…って話を聞いてやって来たとか…
なんか、そういう話…俺的にも似たとこあるし、「おもしれぇ」と思って…
それから何回か会って、一緒にジャムったりして…結局はペアを組んでやろうか〜って話になって、始めたんよな、二人で…。

二人で組むって話になった時、ナミちょっと上向いてじっと考えてから…「あ〜、俺…きっとこれやるために帰って来たんだな〜!そういう運命だったんだ…」って、ボソッと言ってたっけ…

それで、最後はライブやりながら倒れたなんて…
最後までブルースやって…ブルースの中で逝っちゃってさ…
誰も真似できねぇよ、そんなこと…

やったのは青い旗ばかりじゃなくて、そのうちにどっかの大学の学園祭とか…そうだ、どっかのデパートの屋上のビアガーデンとかでもやったっけ…
いろんなところに行ってフォークってると「私もやりたい!」っていうのが出てきて、じゃあというんで女の子いれてピーター・ポール&マリー的に組んでみたり…

俺はどっちかというとその頃はビートルズ的なものも好きだったし、歌もピーター的に優雅に綺麗にハモる方だったけど、ナミはポール的っていうか…やっぱりデュランの影響か…ちょっと音程外れてたりして…それがまた味がある歌い方するんよな…
それで、そのうちに少しずつファンなんか出来て、俺たちのフィンガーピッキングを食い入るように見てた若いやつもいたっけ…。

そういえば、当時テレビで結構流行ってた「ヤングジャンボリー」っていう番組にも、二人で出たことがある。
話があったから「あいよ!」ってスタジオに行って曲を弾こうとしたら、ディレクターに、「おい、そこの二人…サングラス外せよ、サングラス…!」って大声で怒鳴られたっけ…(笑)
当時は俺も芝居でアメリカのヒッピーの役をやった後で髪を伸ばしてたし、おまけに髪も金髪に染めて、サングラスしてた。
ナミはもちろんいつものヒッピー姿…。

そんな…ロン毛に金髪っていうのは「生き様」だからさ、テレビのディレクターもどきに言われて「あ、すいません」なんてサングラス外すわけねぇじゃん?
で、「あ、ダメなら帰ります!」って言ったら、当時は生放送だったから、ディレクターも渋々オッケー出したけど…、今考えたら…あれはもしかしたらロン毛で金髪でサングラスかけたやつがテレビに出たハシリだったんじゃねえかって思うよ。

帰りにタクシーに乗ったら、後ろからきた車がタクシーの横を追いかけざま、中の数人が口笛吹いてこっちを見て、「うわ〜、女だと思ったら男かよ〜っ!」って笑いながら追い越してったってこともあったっけ…
当時は、ロン毛はそこそこいたけど、金髪に染めたのは少なかったしな…(笑)

そのうちに、シャープ&フラッツっていう有名なバンドのマネージャーだかが客でよく来ていて、「あんたら、僕の事務所で電話番のバイトでもしない?練習はそこでいくらやっても良いから、電話来たら受けるだけで良い」っていうんで、俺はもう三期会も辞めて北欧に飛ぼうかな〜なんて考えて金を貯めたかったから、新橋にある彼の事務所でバイトすることにした。

ナミも毎日そこに来て、とにかくあんなにギター弾いたことないくらい毎日弾いて、曲作って遊んだりしてたら、その頃やっぱり青い旗によく来ていた有名な作詞家から電話がかかってきたんよな…

彼はいつも数人連れてきてたけど、ある日、自分の書いた詩を俺に見せて「これに合わせた曲作れるか?」っていうから、その場で即興的に弾いて歌ってみた。
なんでも、やたら「キッス」って言葉が並んでいて、ちょうどその頃はグループサウンズが流行っていた頃だったから、ちょっとエレキ的に激しいっぽい曲にしたら、彼は酔っていたせいなのか自分の詩が曲になったのが嬉しかったのか…連れてきた人みんなに「おー凄くねぇ?」とか言ってたのを覚えてる。

で、その電話の話っていうのは、「おい、俺…今青い旗にプロデューサー連れて来てるんでさ〜、お前の曲聴かせたいからすぐこっちへ来いや!」っていう話…
電話聞きながらナミに小声で言ったら、ナミはやっぱり首を横に振った。
当たり前じゃん、パートナーとの練習は神聖じゃんか…

「いや、今ちょっとパートナーと練習してるんで、今度の機会に…」って最後まで言い切らないうちに、彼は「おいお前…俺を誰だと思ってるんだ?」っていうから、「知ってますよ、もちろん…でも…」…。

もう50年以上も前の話で多分時効だと思うから言うけど…、平尾昌晃の「星はなんでも知っている」って曲の作詞をした水島哲って超有名な作詞家…
「お前…そんなこと言って来ねぇんなら、もうお前は芸能界で生きられねぇようにするぞ!」とか言って脅された。

その頃、俺はナミとか周りで北欧を放浪してきた奴らの感化受けてスウェーデンに行こうって決めてたから…日本の芸能界なんて全然興味ねぇじゃん?
だから、「あ〜、そうですか…俺は全然気にしないんで…」とか言って、電話を切っちゃった!
芸能界で超有名な作詞家にそうやって啖呵を切れたって、気持ちよかったよな〜!

それからしばらくしてもうスウェーデンに行くという頃、ナミに「これからどうするん?」って聞いたら、ナミは「これから渋谷のジャンジャンにでも行って、なんとかするよ!」って言ってた。

そんで、俺は片道切符でスウエーデンに入って、ナミはジャンジャンでライブやるようになって…

それからのナミのことは、みんなも知っての通り…

それから9年くらいして、初めて日本に帰った時に恵比寿のナミの自宅に行ったっけ…
もう奥さん(当時のかな?)がいて、息子さんもいたしね…
ちょうどタイから帰ってきた友達が「ブッダ」を持ってきてくれたとか、それはまた嬉しそうに言っててさ…(笑)

そういえば、昔あった新宿の風月堂で「サンタクロースからのプレゼント」とか言って、八王子の古家で育てたクサをその店にいた客に配って…やがては捕まったって話も噂には聞いていたけどな…

俺が「もうフォークは辞めて、エレキやベース弾いて…ロックやラテンとかフュージョンやってる」って言ったら…彼…これまた仏さんのように笑いながら…
「タキはな〜、下手なくせに…聞いてる相手にいかにも上手いって思わせるように弾くから、また聴く人騙してんじゃんか?」とか言って笑ってたっけ…
あれは図星だと思ったから、今でも忘れてねぇよ…(笑)

だからさ〜、ナミがいたから…俺…今ここにいるんよな…
それにしても、俺よりも若いのに、先に逝くんかよ〜!
まぁ、時が来ればまた会えるかもしんねぇし、そしたらまた一緒にブルースでもやろうよ!

あ、日本に行った時にナミの書いた本買ってきた!
「風のように、自由に旅するヒッピー人生」ってやつ。
そん中に、ちょっとだけ青い旗時代のことが書いてあって、シズちゃんと3人で撮った写真もあった…嬉しかったぜ…!

ま〜さ、こうしていろいろ思い出してると懐かしくて涙も出そうになるけど、俺…毎日ブルース弾いてっから…これからは弾きながらナミのことは思い出すだろうし、時々本も読んでみるよ。

そういえばさ…俺…随分前に障害者とのロックバンドで日本公演やって、ある時に六文銭の小室等さんと会ってさ…
俺…何せ井上陽水とか…さだまさしとか…あの辺の奴は俺がこっちに来てから出て来たんで知らなかったし、小室等さんも実は知らなくて…

で、会ったらナミの話になって…小室さんの話だと「ナミさんは酒飲まないからね〜、だからアッチの方やってたんですよね…」とか話が弾んで、結局、二人でトークショーをやろうっていうんで、三重の津市で二人だけの演奏会やったんよ…

その時のテーマが「再会」…
それまでお互い会ったことはなかったけど、小室さんもPP&Mやってたとかナミを通していろんな人と繋がってるんで、こりゃ「再会」でやりましょうって…
いきなり二人で「パフ」弾いてスタートした。

今すぐってわけにもいかねぇだろうけど、しばらくしたらまたみんなで会えるんじゃん?
そしたら、みんなで「再会」っていうんで騒ごうよ!
俺、エレキのストラタ持って行きたいけど、あっちには電気とかアンプって、きっとねぇだろうな〜!
ま、アコギでいいか…それから始まったんだから…
また、みんなで「Don’t think twice, it’s all right!…」でもやって始めようぜ!

それまで、ゆっくり休んでよな!
あの時から…ありがとう!
今でも愛してるぜ、ナミ…

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