生活保護と、家族の扶養義務制度!

独り言の部屋

先月の1月27日に菅首相が参議院予算委員会で、コロナ禍の生活困窮者の支援に関して「政府には最終的には生活保護という仕組みがある」と述べたことで、いろいろ反響がありましたね…。

例の、日本の歴代最◯の首相と評判の鳩山さんが、「それを言っちゃ、おしまいよ!」とツィートしてまた反響があったり…

それ以来、この生活保護とか生活保護制度についてのいろいろな意見がマスコミでも言われていたようだけど、それに関して、家族の扶養義務制度についての検証や意見もたくさん見られるようになりました。

そもそも、日本の生活保護制度には「補足性の原理」というルールがあって…生活に困窮している場合、まずは資産や稼働能力、扶養できる親族の力などを借りても、なお最低生活が送れない場合に限って、その足りない分を支給するというものですよね?

先進国ならどこでも生活保護の制度があるけど、この「資産」について日本では貯蓄金の保有に対して厳しいし、特に、「親兄弟、親族の扶養義務」なんてものは、どこの先進国にもないもんです。

資産の場合、日本はヨーロッパ各国と同様に持ち家の保有は認められているけど、住宅ローンが残っていると保護が受けられないし、その上、生活保護費の半額程度しか現金の保有が認められないので、単身世帯なら5~6万円でしかない。

つまり、日本では「身ぐるみ剥がされた」状態でないと生活保護が受けられないために、「入りにくい」というか…簡単には受けられないっていうことになっている…

ちょっと、他の国と比べてみますね!

このように、日本の生活保護制度は、極貧状態に陥らなければ手を差し伸べない仕組みともいえるんだけど、日本の生活保護の最大の欠陥ともなっているのが、実は「家族主義」なんじゃないかと思うんです。

ちなみに、

民法877条1項によると、「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」と定めていて、これが、「自分の親及び兄弟姉妹に対する扶養義務(面倒を見る義務)」の根拠になっているわけです。

で、家族や親族の扶養が生活保護に優先するとなっているために、生活保護を申請すると、福祉事務所はこれら親族に「○○さんが生活保護の申請をしましたが、経済的な援助ができますか?」と問い合わせやハガキの送達(扶養照会)をすることとなっている。

もちろん、親や兄弟は出来る範囲で援助すれば良いことになっているので、照会を受けた親族は、金銭的に余裕がない場合援助を断ることができるけど、ほとんどの場合原則的に扶養照会をすることになっているわけです。

そのため厚生労働省は「扶養義務の履行が期待できない者」に対しては、扶養照会をしなくてよいと通知を送っているということなんだけど…

じゃあ、「自分の親及び兄弟姉妹に対する扶養義務」を放棄できるかというと、親子関係、兄弟姉妹関係を法的になしにすることはできず、扶養義務を放棄するということは、法律上はできないことになってます。

ところで、

生活困窮者を支援する団体の年末年始の調査では、生活が苦しいのに生活保護を利用したくないと答えた人のうち、3人に1人が「家族に知られるのが嫌」だと回答したということです。

結局…「生活保護を受けるのは恥」なんですよね…
自分が極貧状態で生活保護を受けるなんてことは、家族や親族に知られたくはないわけです。

この問題についての国会の質問で、「申請をためらうのは仕方ないことなのか?」という質問に対し厚労相は、扶養照会は法律事項ではなく「義務ではない」と答え、また首相は「生活保護は国民の権利だ」と認めたらしい。

そこで質問した議員は、「そう言うなら、申請をためらわせるような扶養照会はやめるべきです」と言ったとか…。

法律で書かれているのに「義務ではない」と大臣が矛盾していることを言ったり、「権利だ」と首相が言うと、「それなら扶養照会はやめるべきだ」と言ったということだけど…

そもそも、「家族・親族の扶養義務」が現代の日本では実情に合わないということが問題にもされないということ自体が…問題なんじゃないですかね?

扶養照会をやめるといっても、扶養義務があることには変わりがないし、扶養義務があるという法律あるのに、その照会をしないということだっておかしいじゃないですか…

今時、「個人は自立すべき」という意識はある程度確立されているとは思うけど…

この民法は明治時代に制定された古いもので、それが大正・昭和・平成・令和と時代が変わり家族のあり方も変わってきているのに、まだ観念として残っているんですね…

社会において個人の自立を尊重して個人生活を確立するという目標があるのであれば、そろそろ家族制度から脱却して、扶養義務制度なんてものはなくした方がいいと思うけど、どうなんでしょう?

そもそも、「家族というものはお互い助け合うものだ」というのは、どこの世界でも当たり前のことです。

家族の中で、例えば経済的に困っているものがいれば、それを援助するということは当然あって然るべきだし、だからこそ家族は大切な存在であることも間違いない。

でも、それと、家族が困っている時には扶養の義務があると法律で決めるというのは、また違うと思うんですよね!

私事の話になって恐縮なんですが…

僕の親父が30年前に亡くなった時に、数百万円の借金があったんですよ…

当時、両親は道営住宅に住んでいたんですが、親父があちこちに借金があったので、それを返済しないとおお袋が住宅に住めないということが残された家族の間で話題になって…それで当時日本にいた妹兄弟たちが考えた結果、僕ら4人の妹兄弟で分担して借金を返済するということになって、僕にも連絡がきました。

僕は長男なんで、他の兄弟も当然僕は受け入れるだろうと思っていたらしいんだけど、僕は「死んだ親の借金を、何で子どもが引き継がなきゃいけないのか?」と言って断りました。

法律的に、死んだ親の借金を残った家族が返済する義務があるのかどうかはわかりません。

スウェーデンの価値観ではそんなことあるはずがないんで断ったわけですけど、結果的に残った3人で分担して返済して、その後はお袋もそのまま住んでいました。

でも、その結果僕と残りの妹兄弟の間にはしこりが残って、それは今でも続いています。

家族が物理的に一緒に住むという形態はずっと前からなくなっているけど、頭の中に「家族制度」や「家族の扶養義務」というのが残っていて、そのために家族関係が崩壊してしまうということを体験してるわけです。

今のコロナ禍では相当数の人が生活困難に陥っていることは確かだし、それには生活保護も含めていろんな支援が必要でしょう。

そんな時に、価値観の違いといえばそれまでなんだけど…

スウェーデンや他の先進国のように、「生活が困れば、家族がいようがいまいが、必要な支援を受ける権利がある」ものとして、恥とは思わずに支援が受けられるようになればいいと思うし、そのためにも、もう明治時代の産物である「家族の扶養義務制度」は廃止するべきだと僕は思うですけど、どうなんでしょうね…

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