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生存的ということ

自分だけの感覚、喜びと悲しみ


最近、認知症ケアの対応として緩和ケア理念というものが話題になっていますが、その中に「生存的」という、日本語的には馴染みの少ない言葉が出てきます。
英語ではexistential と言い、=生存に関する、実存(主義的)の、とも訳されますが、例のジャン・ポール・サルトルの実存主義ともちょっと違います。

日本では今まであまり取り上げられてはいない言葉ですが、実はこの「生存的」という概念は、認知症に限らず僕らにとっては日常的なもので、それぞれの生存的な思いや感じ方、あるいは恐れや苦悩というものは、実は医療や福祉においてのケアを考える時に、非常に重要なもののひとつなんです。よく、例えば何かに疲れてホッとしたい時、ふと救われるような瞬間があれば、それはその人にとって「生存的なひと時」でしょう。あるいは、何か新しい魅力的な仕事に巡り合い、「よしっ、先に希望が見える!」と感じる時、また、素晴らしい出会いや結婚、こどもの出生など一生忘れられないような瞬間も、その時に感じる嬉しさや喜びは、きっと「生存的な喜び」だと言えるでしょう。
時には、「人に認められたい!」、「もう燃え尽きそうだ!」、「これから自分はどうなるだろう?」という思いや悩み、苦悩もあるかもしれない。いわゆる、「生存的な悩み、苦悩」です。
そんな、自分にしか分からない感情、思い、悩みや苦悩は、時には精神的にも肉体的にも影響を与えます。

自分が高齢に近づき、もし配偶者に先立たれると、「これからどうなる?」、「何故自分より先に!」、「自分は、いつどうやって終わりを迎えるのか?」など様々な葛藤があるだろうし、もしかしてその自分が認知症にでも罹るのなら、段々衰えてくる記憶や機能の低下に、人には言えない恐れを感じるかもしれないですよね?
状況によっては、在宅から施設やグループホームなどへの移転もあるかもしれないし、そうなればその恐れの中で未知の世界に突入することにもなるわけです。心配ごとは日増しに多くなり、もしかしたらうつ病的な症状も出るかもしれないし、そうなれば睡眠不足や食欲も失ってしまうかもしれない。

当然、それは身体的にも影響し、体重も減り胃腸機能も正常でなくなる。やがては昼夜も逆になり、場合によっては何も出来なくなり、徘徊という形でしか自分を表せなくなるかもしれない。
そんな身体的な、精神的な、あるいは行動的なことも、実は生存的な恐れが要因であったかもしれないですし、そんな場合にその出てきた状況に対応するだけでは、要因はそのまま残ってしまい状況は変わりません。
「誰かに認められたい!」と、どれだけ多くの認知症患者が思っているでしょう?
それは認知症の患者だけでなく誰にでもあることですけど、普通は何かに紛らわすか、あるいは自分からはたらきかけることも出来ます。
でも、認知症や場合によっては機能障害を持つ人など、そうは感じたり思っても、自分では解決できずに、その思いは時折周りにとっては不都合な形で出てくるという場合も多くあるわけです。
そんな場合に、もし自分が認められたと感じる喜びはどんなに大きいでしょうね?

だから、ケアを考える時は、それが誰でも、高齢者でも認知症でも障害者でも、もしかしたら隣にいる隣人や知人でも、その人がどういう人で、今何を感じ何を考えているか、つまりはその人の生存的な欲求やニーズを考えなければ、本当に適切な対応は出来難いものです。 

他人の生存的な欲求やニーズを見極めるのは難しいし、生存的とは何かを理解することも、これまた難しいものかもしれません。
そんな時に鍵となるのは、「じゃあ、自分はどうだろうか?」と考えてみることです。
「今、自分は何をしたいのか?」、「自分にとって、今最も必要なことは何か?」、「自分が一番嬉しいことは?」、「どんな時に悲しくなるのか?」などと、自分について考えてみてはどうでしょう。
そこに出てくるものみんな、自分にとって正に「生存的」なことなのです。



 

 

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