スウェーデンの音楽療法(その3)音楽療法の方向性

音楽療法の部屋

⚫︎教育的音楽療法の流れ

音楽療法という概念がスウェーデンに入ると、まず、障害児との音楽活動を実践していた「特別教育」の教師たちが関心を持ち、それぞれの実践活動の中で音楽を取り入れるようになっていきました。

また、数は少ないながらも、医療の中で精神病院や精神障害者のリハビリ施設などで音楽活動に携わっていた人や、一部の精神科医や心理療法士も、音楽を精神・心理療法で取り上げる試みも行われました。

「特別教育」的な方向は「教育的音楽療法」と呼ばれ、一方で医療の分野での実践は「臨床的音楽療法」と呼ばれていました。


さて、1970年代は「その2」でも述べたように「パイオニアの時代」とも言われていますが、ブリットマリー・アドルフソン、ヤンネ・ブロムクビストやラッセ・イェルムの他にも、モナ・ハリン(音楽研究家、イェーテボリ市)、ビルギッタ・ヘッグブロム(音楽教師、DAMP障害)、スティーナ・ヤルボ(音楽教師、知的障害者)、アン・クリスティーン・サンデル(音楽教師、特別支援学校)、ベリット・シャブ(音楽・ドラマ教師、イェーテボリ市)、イングリッド・タレン(特別支援学校監査士、特別支援学校委員会)などがおり、それらパイオニアのほとんどは、障害児と関わる音楽教師や特別支援教育の教師でした。

医療の分野では、精神病院での音楽活動に携わっていたウルバン・イーマンが精神病や精神障害の分野でのパイオニアともいえますが、当時の精神医療の現場ではさほど活発な活動は見られませんでした。

その後、「その1、音楽療法の背景と流れ」で述べたようにストックホルム王立音楽大学で音楽療法の教育がスタートし、その後もショービーク国民高等学校やインゲスンド音楽大学での音楽療法の科目の設置など音楽療法士の養成が進んでいったわけですが、同時に、それはまたそれぞれ方向性の異なる三つの流れとして確立されいったことについても述べました。

この三つの方向は音楽療法の定義も微妙ではありながらそれぞれ違い、それはまたスウェーデンの音楽療法の三つの方向として、その後現在にも引き継がれています。

⚫︎音楽療法の三つの方向

スウェーデンには、日本のように、音楽療法についてそれぞれの趣旨や方法論に賛同する人や、地域によって、それらを研究したいと思う人が集まるという、いわゆる音楽療法研究会のような集まりは、ほとんどないと言っても過言ではありません。
その代わり、音楽療法を教育する大学などの機関がそれぞれの特色や考え方の方向性を持っていて、そこで学んだ人に強い影響を与えています。

ストックホルム王立音楽大学、精神力動学的音楽療法

ストックホルム王立音大では、精神分析論や行動心理学、発達心理学、また音楽心理学などの専門分野、脳医学など基本的な専門知識の他に、ノードフ・ロビンスやオルフなどの音楽療法の方法論や実践、機能障害に関することなどが科目とされ、

また作曲や演奏、身体動作など実際の音楽演習や現場での実習など幅広い分野にわたって、生徒それぞれが独自の音楽療法を体得できる方向での学習が行われています。

1980年代の半ばには、GIM音楽療法(音楽によるイメージ誘導法)の創始者ヘレン・ボギーも王立音大を訪れるようになり、GIMの基礎講座が開かれるようになりました。


ストックホルム王立音楽大学

王立音楽大学での音楽療法教育は、次第に精神力動学的な方向性を持つようになりました。

それは、人間を全体的に捉え、その中で個人の音楽性や人との関わりに働きかけ、より快適で健康的な方向を見出して行くというもので、音楽療法士と対象者の調和が重要視されるというものです。

ショービーク国民高等学校、特別教育的音楽療法

1985年に、スウェーデン中部のショービーク国民高等学校(短大に相当)では、音楽療法と特別教育が科目として設けられ、特別教育的音楽療法の方向性で教育が始まりました。

ここではすでに1978年に音楽学科の中に音楽療法のコースがありましたが、教育内容はまだ音楽療法士を養成するレベルではなく、84年までは単なる講座という性格でした。

しかし85年には科目としての教育体制が整い、主に特別支援学校や児童・高齢者を対象とする音楽療法士を養成するようになっていきました。


ショービーク国民高等学校

ショービーク国民高等学校は、その教育に北欧の特別教育の伝統を強く引き継いでおり、機能障害者や高齢者とのセッションの実践にも力を入れています。

音楽療法士養成のための教育は「特別音楽リーダー教育」と呼ばれ、教育的にまた療法的に音楽を使うという立場を取っています。

インゲスンド音楽大学、FMT音楽療法

70年代のパイオニアの一人ラッセ・イェルムは王立音楽大学の講師でもありましたが、当初は彼の障害児との音楽活動の経験から、特別教育的音楽療法という範疇での授業を担当していました。

しかし、彼はその後、脳の機能に働きかけるという「FMT音楽療法=脳機能的音楽療法」という独自の理論と方法論を展開し、また特別教育的音楽療法というものを音楽療法とは認められないという立場を主張したために、王立音楽大学の方向性とは合わなくなり、やがて王立音楽大学から離れてウプサラ市に音楽療法教育機関を作り、「FMT音楽療法」として独自の教育を行いました。

インゲスンド音楽大学とウプサラ音楽療法協会では、FMT音楽療法以外の療法は学ばないという方向性を持っています。

そのため、この教育機関で学ぶと「FMT音楽療法士」となり、他の音楽療法とは明確に区別をつけています。


インゲスンド音楽大学

このようにそれぞれの方向性が違うと、音楽療法というものの捉え方や方法に違いが出てくるのは当然ですが、それぞれの教育機関では公式の定義は表してはいません。

いろいろな文書でそれぞれの考え方はわかるにしても、その表現もその都度違うニュアンスを持っています。

⚫︎それぞれの、音楽療法の定義

次に挙げるのは、これらの三つの流れの違いを研究した研究所のインタビューに、それぞれの教育の責任者が答えたものです。
(音楽教育センターの、アニタ・グランバリェの研究発表から)

ストックホルム音楽大学の定義

音楽療法は、教育を受けた音楽療法士が、個人あるいは集団に対し異なる方法を用いて、身体的、情緒的、精神的、社会的、認知的なニーズを満たすために、音楽や、あるいは音楽的な活動を調和させて使うものであると定義づけられる。

音楽療法士は、精神力動的な考えに立ち、音楽療法士としての能力と責任の中で、音楽心理療法、特別教育、医療の分野で活動を行う。
(イングリッド・ハンマルルンド 音楽教師・音楽療法士、王立音楽大学音楽療法科)

ショービーク国民高等学校の定義

音楽療法は、教育を受けた音楽療法士が、個人あるいは集団に対し異なる方法を用いて、身体的、情緒的、精神的、社会的、認知的なニーズを満たすために、音楽やあるいは音楽的な活動を調和させて用いるものであると定義づけられる。

音楽療法士は、発達心理的な考えに立ち、音楽療法士としての能力と責任の中で、特別教育的な視点で、文化や余暇の分野で活動を行う。
(アンリ・リスバリエ 音楽教師・音楽療法士、ショービーク国民高等学校音楽療法コース)

FMT音楽療法教育の定義

音楽療法は、教育を受けた音楽療法士が、個人に対して一つの方法で、個人の機能のレベルを向上させ、それによってより良い発達と健康を計るために、音楽や音楽的な活動を調和させて用いるものであると定義づけられる。

音楽療法士は、発達理論に立ち、音楽療法士の能力と責任の中で、機能の低下に対して活動を行う。
(ラッセ・イェルム 音楽教師・音楽療法士、FMT音楽療法の創始者)

このように、それぞれ若干の違いはありますが、王立音大とショービークでは、共通点も多くあります。

それに比べてFMTの場合は、まず個人対象の療法で、集団では行いません。
また音楽を使う場合に、王立音大とショービークでは即興的な音楽が重視されていますが、FMTでは決められたメロディーを「コード」として使います。

そのコードがどういうものであるかということは、教育の中で学習されるということで、外部からは中々知ることができません。

実証例を見ても、ただ「このコードを使った」という表現しかされないので、外部の人には中々その実体がわからない、ということがあります。

基本的な考えとしては、対象になる人が、提示されたメロディーによるコードによってドラムを叩くことで、脳の神経を刺激し、新しい神経細胞や神経系統を作り出すというものですが、医学的にそれが証明されているかどうかは不明です。

このように、それぞれ違う音楽療法の捉え方や方法論が共存していると、それを同じような方向にまとめていくというのも難しいということがあります。

実際、例えばFMTでは、公式にはスウェーデンの音楽療法にはこの三つの方向があると言いながらも、「特別教育的音楽療法」を音楽療法とは認めない傾向がありますし、また王立音楽大学系の音楽療法士の中には、FMTの科学的立証を疑う人や、他の音楽療法を認めないことに対する不満や、また障害者に対してのハビリテーションという立場から、FMTは本質的にリハビリテーション志向であると批判する向きもあるようです。

スウェーデンで、まだ音楽療法が国家資格にならないということの要因には、こうした事情もあるということも考えられるでしょう。

(その4、「音楽療法士の養成」に進む)
(その5、「国家資格ではない事情」に進む)
(その6、「音楽療法士の働く場」に進む)
(その7、「実証と評価、今後の課題」に進む)

(その1、「音楽療法の背景と流れ」に戻る)
(その2、「パイオニアの時代」に戻る)

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