90年代初めの頃の話ですが、日本のある女子大の研修グループがストックホルム市の市庁舎を訪れた時のことですけど…
ノーベル賞の晩餐会も催されるその市庁舎の中にはストックホルム市議会もあり、東京でいえば都庁のような仕組みになっています。
男性と女性の議員がちょうど半分ずつという市議会場などを見学した後で大きな会議室に移動して、市の福祉委員会のメンバーでもある市会議員から、スウェーデンの福祉事情やストックホルム市の福祉サービスのレクチュアを受けることになりました。
ひと通りの説明が終わって質問ということになり、ある学生から「スウェーデンでは、医療と福祉をどう分けていますか?」という質問が出ました。
ところがその市議は、何でそんなことを聞くのかという顔つきで通訳をしていた僕を見て…「医療というのも福祉のうちでしょ?」と、相槌を求めるように聞き返してきたわけですよ…
「まぁ、そうですけど…、日本じゃ医療と福祉というのは管轄が違うので、別の問題として考えられているんですよ。」と、まぁ、ここで通訳としては余計なこと、つまり質問の背景などについて説明をせざるを得なかったことがありました。
ともあれ、僕の説明を聞いてその市議はしばらく考え込んでから、「医療と社会ケアというものは車の両輪のようなもので、福祉には大切な要素です」と説明しましたが、質問した女子学生は分かったような分からないような顔をして、仕方なしに頷いていましたけど…
「医療と福祉をどう分けていますか?」という質問に、「医療とケアの両方とも、福祉には大切な要素です。」と答えても、うまく伝わらないのは当たり前で…
僕はまた、「これについては、後で説明します。」と、また通訳者としては落第の対応をしてしまったんですけど、それも忘れられないエピソードのひとつでした。
そうなんです…
スウェーデンといえば「福祉国家」として知られていますが、実は、スウェーデンでは一般的に「福祉」という言葉は日常的には使いません。
日本語で「福祉」というと英語ではwelfare、またスウェーデン語ではVälfärdとなりますが、スウェーデンで「福祉=Välfärd」という言葉は、「福祉国家」、あるいは「福祉のレベルの向上」などというように、もっと広い意味での「安心できる暮らし」を意味します。
そして、市民の暮らしを守ることは「福祉」とは言わずに「社会ケア」と言い、また障害者福祉は「障害者ケア」であり、同様に「児童ケア」や「高齢者ケア」と、それぞれのジャンルで呼んでいます。
では医療はどうかというと、これも「医療ケア」といいます。
日本では、「医療と福祉」、あるいは「医療・福祉と教育」というように、行政的にも医療と福祉は管轄が分かれていますし、また教育や経済・文化とも切り離して考えられています。
しかしスウェーデンでは、福祉というものは「安心できる暮らし」であり、またそれを可能にする条件や手段であるとすれば、医療もケアも、あるいは教育や経済や文化も、また社会経済も「福祉」という大きな枠の中で捉えられ、それぞれが連携し合っています。
つまり、医療とは(cure=治療)することであり、福祉とは(care=世話・手当、介護・看護)というように、健康的な生活のためには、それらが車の両輪のようにお互い必要なものであり、分野が違うとはいえ、両方とも「福祉」の大切な要素であり、別物ではないわけです。
一般的にスウェーデン人は、医療や産業も教育も、あるいは道路を造ることや住宅の整備さえも、それらは「福祉」として国民の生活に貢献しているという意識は共有し、そのため、それぞれの分野は「縦割り」の構造になるのではなく、「医療」、「教育」、「社会(ケア)」として、横並びになっています。
スウェーデンの福祉理念
ここからはちょっと話が長くなりますが…
ここで、スウェーデンの社会理念ということを考えてみましょう。
以前のスウェーデンでは、
高齢者はあまり表に出ず隠匿生活をするのが普通でしたし、障害を持つ人は収容施設に閉塞され、社会とは隔離された生活を強いられていました。
優生保護法もあり、不妊手術も当然のように強制的に行われていた時代もありました。
スウェーデンの福祉政策の歴史は古く、1763年に成立した「救貧令」にルーツがあります。
その後、1848年に改定され、1871年に新救貧令、1918年に救貧法へと発展し、その後の広範囲な福祉関連法へ制度整備と続いていくことになります。
それらの変革の中で、現在のスウェーデンの社会福祉国家としてのモデルの基盤は、1920年から44年間もの長期政権を維持して、一貫した政策を継続した社会民主党が掲げた「国民の家」運動に遡り、その後の「ノーマライゼーション」を進める過程で成熟してきました。
その社会民主党が政権を担った初期の頃に、後のスウェーデンの社会福祉の原点となる基盤を築き上げる上で貢献をしたのが、二人の社会民主党の党首です。
合意形成主義と「国民の家」運動
1889年4月に成立したスウェーデン社会民主党を成長させ、1920年に単独政権を樹立して、スウェーデン特有の合意形成優先の政治手法を確立した人物が、カール・ヤルマール・ブランディング社会民主党党首です。
社会主義者でもあったブランディング党首は、スウェーデンに理想的な社会主義国を建設するには暴力革命ではなく、他党と連携し合意形成を進めた上で、緩やかに制度を改善し理想に近づけていくアプローチを取るべきであると唱えました。
ブランディング亡き後の社会民主党を率いたのは、ペール・アルビン・ハンソン党首です。
ハンソン党首は、福祉国家スウェーデンの概念でもある「国民の家」構想を打ち出しました。
ハンソン党首は、1928年に「スウェーデンがより“良い家”のようにならなければならない」と述べ、この概念を取り入れ、平等と相互理解を強調しました。またハンソンは、それまであった伝統的な階級社会を「国民の家」(folkhemmet)によって取って代わられなければならない、と力説しました。
つまり、スウェーデン全体を一つの家と捉え、そこでは「誰かが、誰よりも多く…」ではなく「誰もが、同じように…」という平等精神です。
そしてその精神は、戦後に首相となるターゲ・エルランデル党首やオロフ・パルメ党首など、その後のスウェーデンの福祉政策に貢献のあった指導者に受け継がれていきました。
ノーマライゼーション
その上で、近代のスウェーデンにおける社会福祉政策の中で、大きな役割をしたものに「ノーマライゼーション」の理念を社会政策の基盤としたことが挙げられます。
日本では、往々にして「誰もが、普通に暮らす」というように捉えられているノーマライゼーションですが、スウェーデンでも、立場によってそれぞれの捉え方をします。
公的な機関では、ノーマライゼーションとは、
「社会的に不利な条件を持つ人の生活条件を、社会的に不利な条件のない人の生活条件に、可能な限り近づけること」
と、定義しているところもあります。
これも、「平等精神」です。
1950年代の終わりにデンマークのバンク・ミケルセン氏が唱えた…
「入所施設で生活を余儀なくされている知的障害者に、できるだけ普通の生活が出来るようにする」という趣旨のノーマライゼーション。
同時期に、スウェーデンのベングト・ニーリエ氏が唱えた…
「自己主張」や「自己決定」の機会を与えることが、ノーマライゼーションの実現につながるという主張。
加えて、生活の中で「ノーマル」ということについて、8つの側面からの説明など。
これらの動きは、やがて70年代になって国際的にも広がっていきました。
スウェーデン国内でも、戦後の社会改革や経済政策、中でも将来的な少子化による人口の減少問題や労働政策の中で、50年代から外国からの移民を迎える政策を導入しました。
つまり、言語や文化の違う国の人たちとの共生ということが課題となったわけです。
そのため、「社会統合=インテグレーション」ということが、教育の場や住宅地の形成や交通、障害を持つ人の施設から地域生活への移行、病院の体制やあり方、高齢者ケアなど、社会政策の中での重要な課題として進められてきました。
社会サービス法
1980年に社会サービス法が制定される以前のスウェーデンの社会福祉立法 は、機能別・対象別に分けられていて、このうち主たる法律は、
児童福祉法 (1960年)、
アルコール乱用者ケア法(1954年)、
社会扶助法(1956年)
というものでした。
これらの3つの福祉法は、いずれも、スウェーデン で1800年代に制定された困窮者扶助に端を発する、古い価値観に基づくものでした。
この1980年に制定された社会サービス法(1980:620)(現行法は 2001:453)は、それまでの受給者を受動的な地位においていた古い概念を改め、新たに、民主主義、平等、社会連帯、安全を目的として、個人の自立と自己決定の尊重を基本原則として位置づけた法律です。
スウェーデンでは1930年代以降、労働市場政策、家族政策、社会保険、住宅政策などの社会政策が世界的にも注目されるほどに発展し、社会保障制度が広範囲に整備されてきましたが、1980年の社会サービス法が制定される以前は、1900年頃から引き続く、古い伝統的考え方を残していました。
古い福祉法においては、受給者は保護の対象として受動的な立場で、公的機関には大きな権限や義務が与えられていました。
公的機関には、一方的な入所措置決定など個人の自由を制限する強い権限が与えられていて、そのような管理的・抑圧的な姿勢や性格が批判されてきました。
同時に、個人の法的地位も不明確であったため、それらの基本的理念の部分への批判と反省から、これに代わって、当事者の自由意思と自己決定を基礎とした新たな社会福祉立法の制定が求められたことが、1980年の社会サービス法の制定の契機となったわけです。
そして、
個人の自立と、個人の自己決定権の尊重を基本的原則として社会サービス法の中に位置づけるとともに、個人の法的地位を強化するために、個人の援助を受ける権利、手続的権利、裁判所へ訴える権利、加えて、市民の福祉サービスの管轄はコミューン(市自治体=地域)であり、コミューンの責任と義務を明記しました。
福祉政策と福祉理念
このようにして、
「困った人を救済する福祉」であったスウェーデンの福祉も、現在では「福祉というのは、快適な暮らしということ」というように、スウェーデン人の意識も変革していきました。
つまり、社会状況の変化に伴って政策や法制度が変革する中で、新しい価値観や理念が生まれてきたわけです。
現在のスウェーデンの福祉理念といえば、
●自立した生活
●自己決定
●人格・人権の尊重
●平等精神
●選択の自由
●「住む、働く、余暇(自分の時間)」の確立
●多様性と持続性
などが挙げられます。
そして、これらは政策作成や実施部門、そして福祉を享受する市民の間で「共通の価値観」として共有しています。
今後の課題
現代のスウェーデンは、多国籍国家でもあります。
2度にわたる世界大戦前後からの産業の発達に伴って労働力が求められ、スウェーデンでは早い時期から南ヨーロッパなどからの外国人労働者を積極的に迎え入れました。
その後は、世界各国から内政や国際紛争の避難民も受け入れ、現在は人口約1.038万人のうち実に25%以上の263万人近くが世界中100カ国以上からの外国人移民者とその家族であり、それぞれの価値観や文化を持ちながらスウェーデン社会に溶け込んで生活を営んでいます。
スウェーデンはまた、ノーマライゼーションが社会に浸透している福祉社会国家です。
ノーマライゼーションというのも、究極的に言えば、いろいろな条件を持ち合わせている個人一人一人が、それぞれ社会の一員として共存できる条件づくりをすることでもあります。
そこには、戦争による避難民もいれば、もちろん病気を持つ人や高齢者、機能障害を持つ人たち、あるいは薬物依存症や社会からの脱落を余儀無くされた人たちなど現代社会に生きる様々な人が共存し、社会はそれを包むような形で存在しています。
これら様々な条件を持つ人が共存していくためには、一人一人はそれぞれ違う特性を持つ個人であり、そしてその上でお互いが平等であることを認め合うことが前提となります。
また、平等であるということは全ての人が同じ条件を持つという意味ではなく、それぞれが異なる条件を持ち合わせながら、社会に参加する上で同等の権利を持つということです。
今スウェーデンでは、グローバル化した社会から保護的な動きという変化も活発化し、それぞれの文化や地理的な条件で、アイデンティティの緊張やぶつかり合いという世界的な状況にも直面しています。
多様化する世界にあって、世界でも有数な難民受け入れ先となっているスウェーデンでは、今までに経験したことがないほど多数の難民を社会に統合するという大きな課題があります。
社会的に不利な条件を持つ人が、普通の人と同じ権利を持ち社会で平等に暮らしていくためには、いろいろな支援を必要とします。
また、それを可能とするためには、社会全体に平等精神という理念があるということ、その理念を遂行する法制度とシステム、またそれを裏付ける経済的基盤が必要になります。
高税高福祉という形で福祉の公的サービスを拡大し、社会福祉国家と呼ばれる体制を作り上げてきたスウェーデンですが、今後は「多様性」の中で現在の政策に不満を持つ市民や、人権や同権ということに異なる価値観を持つ宗教や文化の違いなど、多数の課題を抱えています。
それらの課題を解決するためのキーワードが社会理念であり共通の価値観でありますが、その理念も、新しい状況の進みようで社会法も進化し、またそれに伴って新しい理念が形成されていくのでしょう。