スウェーデンの音楽療法(その1)音楽療法の背景と流れ

音楽療法の部屋

⚫︎障害時の療育と障害児教育

スウェーデンにおける音楽療法を考える場合、音楽療法と音楽教育というものは元来異なるとはいえ、やはり障害児の療育という分野と、また療育においての音楽教育というものを抜きには考えられません。

なぜなら、スウェーデンの音楽療法の出発点は、「特別教育」と呼ばれる分野である障害児の療育における音楽活動であり、そのことはまた、現在に至るまでの音楽療法の流れやそのあり方に大きな影響を与えてきたからです。

音楽療法という概念がスウェーデンで語られ始めたのは、50年代にアメリカやイギリスを経てそれが入ってきてからですが、スウェーデンではちょうどハビリテーションの概念やシステムが確立されてきた頃で、障害児のみならず成人の知的障害者の領域でも、それまでの「間違いを正し、ものを教える」という方向の教育や生産性を目指す活動から、「それぞれの能力を伸ばす」方向で、生活能力の向上や自立と社会参画を目指す「環境療法的」な教育や活動への変革の動きがあった時期でもありました。

そして、その中で、特に先進的な障害児教育に携わっていた音楽教師や「特別教育教師」などが、認知や機能の向上、アイデンティティーや自己意識の確立、また人間関係を深めるために音楽を使うという音楽療法に関心を持ち、養護学校や施設などでその手法を取り入れていきました。

また、医療の分野では精神病院や精神障害者のリハビリ施設などで音楽活動に携わっていた人たちや一部の精神科医や心理療法士によって、音楽を精神・心理療法で取り上げる試みも行われました。

「特別教育」的な方向は「教育的音楽療法」と呼ばれ、一方で医療の分野での実践は「臨床的音楽療法」と呼ばれていました。

⚫︎音楽療法協会の結成と音楽療法士の養成

その流れの中で、1968年には「北欧教育的音楽療法連盟」が結成され、やがてその連盟は、各国それぞれの組織を結成するということで発展的解消となり、1972年にはノルウェーで「ノルウェー音楽療法協会」が結成されると、翌年の1973年には「スウェーデン音楽療法協会」が結成されました。
そして、協会が設立されたことにより各種の研究会や講演なども組織立てて行われるようになり、また広報活動を通じて、音楽療法という概念がより広がっていきました。

1970年代は音楽療法を実践してきた「パイオニアの時代」と呼ばれていますが、音楽療法協会が設立され、それら教育的音楽療法と臨床的音楽療法のパイオニアの活動も報告されるようになると、音楽療法の教育と音楽療法士の養成が強く望まれるようになり、1981年に当時音楽家で作曲家でもあったクート・リンドグレンのイニシアティブによって、ストックホルム市にある王立音楽大学に音楽療法のコースが設置されました。
当初は、王立音大の教育学部リトミック学科に属した特別コースでした。

その後、ショーヴィーク国民高等学校やインゲスンド音楽大学に音楽療法学科が設けられ、スウェーデンでの音楽療法の教育と音楽療法士の養成が、それぞれの方向で確立されていきました。

スウェーデンには、18世紀にグスタフ3世が創設した「アカデミー」という学術団体の権威があります。
ちなみに、ノーベル賞の受賞者を決めるのもそのアカデミーです。
その中の一つに「王立音楽アカデミー」があり、「音楽の様々な部門で、その発展のためのイニシアティブを取る」という役目があります。

1993年にはその音楽アカデミーが、スウェーデンの音楽療法に関しての会議を設け、音楽療法を科目として持つ各種の学校が集まって、スウェーデンにおける音楽療法の現状が議論されました。

また翌年の1994年には、ストックホルム市で「北欧音楽療法会議」が開かれ、北欧諸国から専門家が集まり、その中で、スウェーデンにおける音楽療法の教育のレベルや考え方に大きな違いがあり、それらが三つの方向として現れていることも明確にされました。

現在スウェーデンには、「スウェーデン音楽療法協会」が発展した形として、国内の音楽療法士や音楽療法に関心を持つ人たちの組織として、「スウェーデン音楽療法連盟(FMS)」という組織に統合されています。

(その2、「パイオニアの時代」に進む)
(その3、「音楽療法の方向性」に進む)
(その4、「音楽療法士の養成」に進む)
(その5、「国家資格ではない事情」に進む)
(その6、「音楽療法士の働く場」に進む)
(その7、「実証と評価、今後の課題」に進む)

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